海外で挑戦を続ける日本人に直接話を聞き、キャリアや価値観を掘り下げながら、世界で勝負するための実践知を探る本連載。今回登場するのは、家族でマレーシアへ移住し、現地から執筆・発信を続けるライター、みずもと まいさん。子育てに苦労しながらも、知らず知らずに握りしめていた「こうしなきゃ」を手放したとき、人生の選択肢が一気に増えたという。みずもとさんのマレーシアでの挑戦のリアルに迫る。(文=JapanStep編集部)

マレーシア在住ライター
みずもと まいさん
早稲田大学教育学部卒業後、電力会社・高速道路会社などで広報としてCSR報告書や環境広報に携わる。出産・子育てを機に心理学的アプローチで家庭の悩みと向き合い、2019年に子育て支援事業で独立。2022年末に家族でマレーシアへ移住し、現在は現地から執筆・情報発信やオンラインでの子育て支援事業を行う。2人の子どもはインターナショナルスクールに在学中。
現在マレーシアでライターとして活動するみずもと まいさん。越境の原点は、語学の英才教育でも、長期留学でもない。むしろ「自分と違う言語を話す人たちが、こんなに面白い作品をつくれる。どんな人たちなのだろう」という幼い頃の素朴な好奇心が、背中を押してきた。両親が外国映画を字幕で観ることを大事にしていた影響もあり、小学生の頃から異文化に対して「近づいてみたい」という感覚が自然に育っていったという。
中学での英語の授業で、外国人の先生と出会った経験が、その感覚をさらに強くした。英語の授業が好きで、先生と話すのも好きだった一方、クラスメイトは積極的に発言しない。ある日の授業中、「私しか発言しない」状況に、「上手に喋る必要はないのに、なぜ自分の意見を言わないのか」と先生が悲しそうに怒った場面を、いまも忘れられないという。語学はテストで点数を取るための技能ではなく、コミュニケーションのためのツールである。みずもとさんの中で生まれた感覚が、将来の越境につながっていく。
ただし、学生時代に留学へ突き進んだわけではない。留学はしたかったが実行には移せず、学びは学校の授業ベースに留まった。それでも海外への意識は消えなかった。テーマパークのアルバイトで外国人のお客様と英語でコミュニケーションを取る度に、「伝わる喜び」と「伝わらないもどかしさ」を味わった。社会人になってからは、大手企業2社で広報を経験し、組織の意図を言語化し、社内外へ届ける仕事に携わる。
転機は子育てだった。第一子が生まれ、みずもとさんは「子育てにものすごく悩んだ」と振り返る。いま思えば「思い込みが強かった」とも語る。日本の単一言語・単一民族・単一文化の環境では、子育てには「こうした方がいい」という“正解”があるように感じやすく、外出時の振る舞いひとつにも「こうあるべき」が忍び込む。当時、子どもがその“正解”から外れた行動をとると、烈火のごとく怒ってしまう自分がいた、とみずもとさんは振り返る。背景には「人の目が気になる」「ルールを守れないと、親のしつけができていないと思われる」という強迫観念があったという。
本当は優しくしたいのに、優しくできない。子どもと一緒に幸せになろうと思って産んだはずなのに、いちばん強く「あるべき」を押し付けていたのが自分だった——その気づきが、みずもとさんを「学び直し」へ向かわせた。書籍や論文を読み漁り、子育てを「根性論」ではなく「構造」として捉え直す。何が起きていて、どこに摩擦が生まれ、どうすれば再現性をもって改善できるのか。広報で培った“整理して伝える”力が、家庭という最も私的な領域でも発揮されていく。そして2019年、子育て支援事業で独立する。正解を教える側に回ったのではない。子育てで正解を探しすぎて苦しくなる人が、息をしやすくなるための「視点の持ち方」や「手当ての仕方」を、経験者として寄り添い、一緒に探る仕事へと踏み出したのだ。
子育て支援事業で対面講座をするみずもとさん(写真提供=みずもとまい)
子育ての閉塞感と向き合うなかで、みずもとさんは自分の内側にある「こうあるべき」をほどき、学び直し、仕事の形まで組み替えていった。足場が整ったときに残っていた問いは、「行くか行かないか」ではなく、「家族の暮らしと仕事が両立する場所を、どう選ぶか」だった。
みずもとさんがマレーシア移住を決めたのは2022年末である。特徴的なのは、決断の前に「走れる形」を先に整えていた点だ。移住前の約3年間で子育て支援事業を軌道に乗せ、場所が変わっても完全オンラインで価値提供できる体制を構築したという。

マレーシアを代表するランドマーク、ペトロナスツインタワー(写真提供=みずもとまい)
移住先にマレーシアを選んだ理由は複合的だが、生活と仕事の両面で合理性がある。英語が日常的に使われる環境であること、日本との時差が1時間と小さく、日本向けの仕事を継続しやすいこと。さらに、多民族・多文化社会であること自体が、みずもとさんにとっては「学びのフィールド」だった。「マレーシアは、マレー系・中華系・インド系など、多様な背景を持つ人々が共存する国です。せっかく移住するならそういう場所を選びたかった」(みずもとさん)。そう語る言葉には、環境から学びを引き出そうとするみずもとさんらしい能動性がある。
もちろん、理想だけではない。移住後しばらくは、サービスレベルや時間感覚の違いに戸惑うことも多く、ストレスもあったという。ただ、3年の経験を通じて「違いを“面白がる”姿勢」の重要性を学んだ。ここで言う“面白がる”は、我慢の言い換えではない。自分の基準だけで世界を裁かない、という意思決定の訓練である。違いをゼロにしようとせず、違いがある前提で「自分はどう動くか」を決める。その習慣が、生活のあらゆる場面で効いてくる。

マレーシアはイスラム教が国教。写真はサバ州(ボルネオ島)のモスク。大学の中にモスクがあるという(写真提供=みずもとまい)
夫の雇用ビザに帯同する形で滞在し、マレーシア国内では就労せず、日本の個人事業主として、日本の企業や個人に向けた仕事を継続している。「『海外に住む=現地で働く』という型だけではないんです。今は、世界中がインターネットでつながる便利な世の中ですから、私のようなスタイルもあるということを是非知ってほしい」(みずもとさん)
子どもたちの学校生活も、越境の成否を左右する要素である。みずもとさんの家庭では、上の子が8歳、下の子が5歳のタイミングで英語環境のインターナショナルスクールに入った。初日から「何を言っているか分からなかったけど楽しかった(笑)」と報告するなど、子どもたちは比較的スムーズに適応したという。「今回の移住は、子どもの教育のためというより、私たち夫婦の『海外に行きたい』という希望を叶えるためだったので、子どものサポートを夫婦でしっかりしていこうと話していました。わが家の場合は、すぐに子どもたちも馴染んでくれて安心しました」(みずもとさん)
そして、発信の姿勢にも芯がある。「今は、マレーシア在住のライターとして情報を発信するお仕事もしていますが、良いことばかりを書きたくないんです。挑戦する人を応援したいからこそ、備え方も含めて現地のリアルを引き続き発信していきたいです」(みずもとさん)。多民族社会の空気を吸い、違いの中で暮らす日々は、いつしか「正解」を握りしめていた自分を緩め、日本という国の見え方にも変化を起こしていった。

マレーシアのモスクを見学する際、女性はヒジャブ(スカーフ)とローブの着用が義務付けられている。
民族によって正装が違うのも、マレーシアの興味深いところ(写真提供=みずもとまい)
マレーシアで暮らすと、「正解」という言葉の手触りが変わる。たとえば「マレーシアのお正月はいつか」と問われても答えが一つではない。民族や宗教によって違うからだ。「正解がないと社会は混乱するのかというと、むしろ逆で、多様な正解が共存するための知恵が、生活の中で磨かれていく気がします」(みずもとさん)
マレーシアの有名なインターナショナルスクールで打ち合わせした際の一枚(写真提供=みずもとまい)
象徴的なエピソードとして、みずもとさんはタクシードライバーとの会話を教えてくれた。「例えば、宗教上の理由でマレー系は豚肉、インド系は牛肉を避ける方が多いのですが、多くの中華系は豚肉も牛肉も食べる。お互いの価値観が異なるシーンが多々あるなかで、どうやってうまく共存しているのか、と尋ねてみたんです。するとそのドライバーは『違うなと思ったら、そこで線を引いて気にしないのが一番』と答えたんです」(みずもとさん)。その言葉にハッとさせられたという。違いを理解しようとする努力と同時に、干渉しすぎない“線引き”が共存を支えている。全員が同じ価値観になる必要はない。完全な理解を目指して消耗するより、譲れない境界と譲れる範囲を定義し、淡々と前へ進む。その態度は、ビジネスにおける合意形成や、多様なチーム運営にも通じる。

コンビニの壁のイラスト。「マレー語、英語、中国語、タミル語が並び、
個人的にマレーシアらしさをあらわしていると感じる一番好きな写真です」(みずもとさん)(写真提供=みずもとまい)
興味深いのは、海外に出たことで「日本の弱点」だけではなく、「日本の資産」が輪郭を取り戻した点である。みずもとさんは、マレーシアでの経験を通じて日本の教育の強みを再発見したという。代表例が基礎学力だ。インターナショナルスクールでは、日本の子どもの算数力(四則演算)が際立つと語る。
「日本の学校で基礎的な計算を学んでいた上の子は、算数の授業で良い点数を取ることができました。慣れない英語環境で自信を失いやすい移住初期において、計算力が子どもの自己効力感を支える武器になり得るんだなと感じました」(みずもとさん)。語学は習得に時間がかかる。しかし、基礎学力を身につけているとと、環境が変わったときの“立ち上がり”が早くなる。ここには、マレーシアに越境した現場ならではの示唆がある。
体育も同様だという。マレーシアの多くのインターナショナルスクールでは、日本の学校のように個人の運動技能を段階的・体系的に伸ばす機会が少ない。縄跳びや跳び箱といった基礎的な運動技能は、学校の体育だけでは身につきにくい場合がある。一方、日本の学校で個々の技能を磨く経験をしている日本の子どもたちは、一概には言えないものの、スポーツ大会で最後まであきらめずに競技に取り組む姿を見せるという。みずもとさんは、個性を伸ばすことの重要性を認めたうえで、「基礎を身につけ、その上で自分は何をしたいかを考える」ことができれば「日本人は強い」と語る。「もちろん、欧米流の個人主義が重要になる場面もあると思います。そのうえで、日本の教育や文化が育ててきた基礎力、継続力、やり抜く力——それらは、世界で戦うための土台になり得ると感じました」。外へ出たからこそ見える“日本の強み”がある。
最後に、これから越境してチャレンジしたい読者へアドバイスを聞くと、「越境のきっかけは『子どものため』でもいい。そのうえで、自分が楽しめるかどうかが大事です」と語ったみずもとさん。そして「正直、行ってみないとわからないことが多いと思います。行ってみて合わなければ元居た場所に戻ってもいいそれは“失敗”ではなく『元の場所が合っていた』という“発見”だと考えればいいと思います」(みずもとさん)。
日本人が陥りがちな「完璧にしてから行く」思考を手放し、「走りながら考える」というやり方もあると背中を押す。自分の常識をいったん相対化し、線を引き、選び直し、更新し続ける。みずもとさんの越境スピリットは、特別な才能ではなく、「自分で決める」という静かな覚悟から生まれている。まずは小さくてもいいから、自分の中の「こうしなきゃ」を一つ外してみる。世界は、その分だけ近づいてくる。

取材で印象的だったのは、越境を単なる「勢い」ではなく、丁寧な計画や準備など「設計」として語られていたみずもとさんのエピソードでした。子育ての苦しさと向き合いながら、思い込みをほどき、働き方を整え、家族の合意形成まで丁寧に重ねてきた。その現実的な歩みがあるからこそ、「こうしなきゃ」を手放すという言葉にとても説得力がありました。変化の時代に必要なのは、誰かの正解をなぞることではなく、自分の境界を引き直し、自分で決める力を鍛えていくことなのかもしれません。
今後JMP(JapanStep Media Project)では、「マレーシア在住ライター」としてのみずもとさんと引き続き共創しながら、ご一緒に日本をステップさせていければと思っています。みずもとさん、今後ともよろしくお願いします!(JapanStep編集部)