製造業が直面する人手不足、複雑化するオペレーション、激化するグローバル競争。その突破口として、産業メタバースはすでに実装が進み、AIの進化を追い風に新たなステージへと進化を遂げている。現実世界を精緻に写し取るデジタル空間が、製造ラインの設計や熟練技能の伝承、グローバル展開までを支える時代だ。dstrategy,inc 代表取締役/MVJ Lab事務次長/東京国際大学データサイエンス研究所特任准教授 小宮昌人さんに、産業メタバースが製造業にもたらす変革と、日本企業が取るべき戦略を聞いた。(文=MetaStep編集部)
※本記事は『MetaStep Magazine』に掲載した記事を再掲載したものです。その他の記事は冊子でお読み頂けます。

株式会社d-strategy,inc 代表取締役/MVJ Lab 事務次長/
東京国際大データサイエンス研究所 特任准教授
小宮 昌人さん
野村総合研究所やJIC-VGIを経て、d-strategy,incを創業し企業のD X や生成A I 活用を支援。Third Ecosystem,inc CEOとして国内外のスタートアップ連携を推進し、エコシステム構築に尽力。著書に「生成DX」「メタ産業革命」「製造業プラットフォーム戦略」など。産業構造変革を見据え、デジタル分野で発信を続ける戦略家。
製造業におけるメタバースは、すでに現場で実用段階に入っている領域だと、小宮さんは語る。
「産業分野では、すでにメタバースの実装が進み、さらにAIとの融合によってその可能性が一段と拡張されています。コミュニケーション領域のメタバースがこれから本格的な普及を目指す中、産業メタバースはすでに現場で実装が進み、異なるフェーズに入っているのです」(小宮さん)。
その根底にあるのが「デジタルツイン」だ。現実の工場や製品を仮想空間に再現し、シミュレーションや最適化を行う技術は、従来は部分最適に留まっていた。現実世界で得たデータをデジタル空間へ、さらにそこから現実へのフィードバックという「双方向ループ」を確立できていなかったのだ。
「デジタルツインは、もともと現実空間の双子をデジタル上に再現する概念でしたが、産業メタバースはこれをさらに広範に捉え、応用範囲を拡張しています。特に生成AIの登場によって、データのフィードバック精度が飛躍的に向上しました。IoTで取得した膨大な現場データをAIが効率的に処理し、産業メタバース内で活用可能な形へ整備する。この点が極めて革新的だと考えています」(小宮さん)。
2011年にドイツが提唱した「インダストリー4.0」を契機に拡がったデジタルツインであるが、今までは主に検討時の設計やシミュレーションに留まっていた。しかし現在では、AIによるIoTや制御データの処理により、エンジニアリング段階だけでなく運用・実行段階での製造現場の細かな動きまでメタバース空間で再現できるようになり、AIによる解析がリアルタイムで現場へ還元される流れもでてきている。その変化を小宮さんは「オペレーショナルデジタルツイン」と呼ぶ。
「製造ラインの生産性や製品の挙動をデジタル上でシミュレーションした上で現実空間での実装に繋げることはできていました。これによりものづくりのあり方が根本的に変わってきました。しかし、AIとの融合の中でさらなる変化が起きています。センシングデータや制御データなどを処理・連携し、リアルタイムでメタバース上に反映できるようになってきており本当の意味でのデジタル『ツイン』になってきています。しかも、その結果をすぐに現場のロボットや作業者にフィードバックできるようになった。これが、ものづくりのあり方を根本から変えているんです」(小宮さん)。
従来の産業メタバースが製造業に及ぼしてきた影響は、設計や計画段階だけではない。現場そのものを変えてきた。小宮さんが熱を込めるのはその実践的な側面だ。「たとえば自動車の衝突実験や性能試験。昔は物理的にのみやっていたけれど、今は多くがデジタル上のシミュレーションで事前に実施できるようになった。これだけでコストも時間も劇的に削減できます」(小宮さん)。
かつては設計図面を理解するには熟練者の経験が不可欠だった。しかし今は、デジタルツインによる3D空間で、誰でも視覚的に工程を把握できる。ライン設計も、工場建設前にデジタル空間でシミュレーションを繰り返し、最適な構成を導き出せるようになった。
「工場を作らずに、シミュレーションだけでどこまで生産性を上げられるか詰める。そして最終的にそれを現実に落とし込む。手戻りも減り、品質も格段に上がります」(小宮さん)。
さらに大きなインパクトがあるのは、技能伝承だ。熟練者のノウハウが「暗黙知」として属人的になりがちだった課題を、産業メタバースが解消しつつある。
「もはや新人が先輩の背中を見て技を習得する時代ではありません。現在は、3D空間上で作業手順や意思決定のプロセスを可視化し、多くをログとして記録できるようになりました。技能伝承の在り方そのものが、大きく変わりつつあります」(小宮さん)。
ARも進化し、多品種少量生産や複雑な組立作業を支える。自動車ディーラーがさまざまな車種のメンテナンス手順をAR で確認しながら作業する事例など、現場の多様化にも即応する。VUCA(※)の時代、変化は予測するだけでは追いつかない。産業メタバースは「変化が起きた瞬間に対応する」ための強力な武器となりつつある。
(※)未来の予測が難しくなる状況のこと。Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)という4つの言葉の頭文字から。
産業メタバースの次なる進化は、個別最適から全体最適へのシフトだ。現場単位での活用から、工場全体、さらにはサプライチェーン全体をデジタル空間で統合する動きが加速している。
「デジタルツインも個別に存在するだけでは十分とは言えません。いかに横断的に連携させ、全体として統合的に運用するかが、今後の重要な課題だと考えています」(小宮さん)。
NVIDIAが提供する産業用メタバースプラットフォーム「Omniverse」はその典型例だ。BMWの工場では、ラインごとに存在していたデジタルツインをつなぎ合わせ、リアルタイムで全体をシミュレーションする。経営層、現場、技術者が一堂にメタバース空間に集まり、最適解を議論できる環境が整いつつある。
またUnityやUnreal Engineといったゲームエンジンが、産業メタバースの強力なツールになっている。設計データ、ドローンで取得した点群データ、IoTによる稼働データなど、異なるデータソースを一つの仮想空間で統合し、視覚的に把握できる。
「Unityを使えば、例えば建設現場の全情報を一元管理できる。従来は1つ1 つのデータを別々に見ていたものが、まとめて可視化されるのは革命的です」(小宮さん)。
さらに進んでいるのが、人間の動作やノウハウのデジタルツイン化だ。接客業でのトレーニングや、プラントの事故対応訓練など、暗黙知のデジタル化が進んでいる。
「現場で先輩の背中を見て覚える、お客さん対応の失敗を通じて学ぶ時代は、既に過去のものになりつつあります。現実では容易に経験できない失敗や事象を、メタバース上で安全かつ効果的に追体験できるようになったことは大きな進歩です。今後、こうした人間中心の設計が、産業メタバースの本質的な価値を形づくるものと考えています」(小宮さん)。
産業メタバースの進展において、生成AIは重要な役割を果たしている。製品設計では、過去のデータや制約条件をもとに、AIが最適な案を自動生成する「ジェネレーティブデザイン」が進化。製品設計やライン設計にも生成する流れや、AIエージェントとの自然言語での指示で生成・変更する流れも生まれ始めている。ゲームエンジンもAI連携することで、3D空間や環境の生成が瞬時に行われるようになり、3D空間生成がスピードアップした。ロボット分野でも生成AIの影響は大きい。従来のように決まった動作をするだけでなく、産業メタバースの柔軟なシミュレーション結果や、現場の状況に合わせて柔軟に対応できるよう進化している。
「モノづくりのあり方が、あらゆる産業で変わろうとしている。ロボットがその場の自然言語の指示に応じて動作する世界が、もうそこまで来ています」(小宮さん)。
NVIDIAの「World Foundation Model」(世界基盤モデル)では、仮想空間内で高速に荷姿やシナリオを生成し、ロボットの学習を加速させている。ヒューマノイドロボットも汎用ハードウェアにソフトウェアをOTA(Over-The-Air)でアップデートし、多様な現場に対応可能になる日が近い。
一方で、小宮さんは日本企業に対し警鐘を鳴らす。「日本企業は往々にしてROI、すなわち投資収益率を重視するあまり、短期的な利益やコスト削減の成果ばかりを追いがちです。しかし、それだけでは未来を切り拓くことは困難です」(小宮さん)。

産業メタバースは即効性の高い投資ではなく、中長期的な競争力の強化に資する構造的な変革だ。だからこそ、小宮さんは「スモールスタート」の重要性を強調する。
「まずは小規模に取り組み、検証を重ねることです。その結果をもとに手応えを確かめたうえで、段階的に展開を広げていく。個別最適ではなく組織横断で産業メタバースの価値を最大化することと共に、重要な要素です」(小宮さん)。
そしてAIに全てを委ねるのではなく、人間が創造力を発揮することが重要だと説く。「100%をデジタル化する必要はない。AIやデジタル・ロボットには叩き台を作らせ、人間が精度を高める。この振り分けが未来の競争力を決めるポイントです」(小宮さん)。
産業メタバースは、技術の進歩を超えた、新たな価値創造の舞台である。日本のものづくりが次の時代へと歩を進めるために、小宮さんの言葉は多くの示唆を与えてくれるに違いない。