経営者や事業リーダーの原体験や転機をたどり、現在の意思決定を形づくった背景をひもとく連載「社長の原点」。今回お話を聞いたのは、トライズ株式会社 代表取締役社長の三木雄信さんだ。三菱地所を経てソフトバンクへ転じ、27歳で社長室長に就任。孫正義さんのもと、数々の大型プロジェクトを担った。独立後は自身の英語学習を事業へと発展させ、50代でExecutive MBAでUCLAアンダーソンスクール経営学修士、シンガポール国立大学(NUS)ビジネススクール経営学修士を修了した。受験、転職、起業、学び直し――異なる局面で、三木さんは何を基準に決断してきたのか。その判断の軸が、どのように培われてきたのかをたどる。(聞き手・文=JMP総合プロデューサー長谷川浩和)
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お話を聞いたのは

トライズ株式会社 代表取締役社長
三木 雄信さん
1972年、福岡県生まれ。久留米大学附設高等学校、東京大学経済学部を経て、1995年に三菱地所へ入社。1998年にソフトバンクへ転じ、2000年に社長室長に就任。孫正義さんのもと、ナスダック・ジャパンの設立、日本債券信用銀行(現・あおぞら銀行)の買収、Yahoo! BB事業などの大型プロジェクトに携わった。2006年に独立・起業。2015年から英語コーチングスクール「TORAIZ(トライズ)」を展開している。2026年、UCLA Anderson School of ManagementとNUS Business Schoolが共同で提供する「UCLA-NUS Executive MBA」でUCLAアンダーソンスクール経営学修士、シンガポール国立大学(NUS)ビジネススクール経営学修士を修了した。
三木さんは1972年、福岡県の筑豊に生まれ、幼稚園の頃に佐賀へ移った。城の堀や川で魚を捕り、鮒を釣って遊ぶ一方、本の虫でもあった。百科事典を3回通読し、内容の大半を覚えていたという。化石を掘りに出かけるなど、生物や進化論にも早くから関心を寄せていた。
「外国人を見たこともなかったですからね。将来、英語を使うような仕事をするなんて全く思っていませんでした。本当に田舎の子どもでした」(三木さん)
小学校高学年になる頃には、「将来は社長になる」と考えるようになっていた。祖父が会社を経営し、身近にも自営業者や商売を営む大人が多かったことから、「社長」は遠い存在ではなかった。
「祖父が楽しそうに仕事をしていたんですよ。焼き肉を食べさせてもらったりして(笑)。子ども心に、社長っていいなと思っていました。だから、自分も将来は社長になるんだろうなという感覚は、小さい頃からありました」(三木さん)
久留米大学附設には高校から入った。同級生には、後に起業家となる堀江貴文さんや、孫正義さんの弟・孫泰蔵さんがいた。当時の附設を象徴する言葉として、三木さんが挙げるのが「和して同ぜず」だ。
「仲は良いけれど、人と同じことはしない。周囲に流されず、自分の頭で選ぶという空気でした。この『人と同じことをしない』という価値観は、経営者になった今の意思決定の根っこにも残っています」(三木さん)

三木さんによれば、附設には難関大学への進学だけでなく、「東京に出て一旗揚げる」といった気風があり、社長や医師を将来像とする同級生も身近にいたという。高校3年には「高校生クイズ」に出場し、福岡代表として勝ち進んだ。
三木さんは、自身を「受験が得意なタイプではなかった」と話す。
中学受験では不合格を経験し、久留米大学附設には高校から進学した。大学受験でも現役で合格した東大以外はすべて不合格だった。その理由を、三木さんは「戦略の勝利」と振り返る。東大を受験すると決めると、過去問を材料に各科目を分析した。
「頭の良し悪しというより、戦略の勝利だと思っています。今の言葉で言えばROIですね。どれだけ勉強したら、どれだけ点につながるのか。全部の科目について考えました」(三木さん)
例えば漢文は、覚えるべきパターンが限られ、学習時間に対する得点効果が高いと判断して重点的に勉強した。一方で、時間をかけても得点を伸ばしにくいと考えた領域には、必要以上に手を広げなかった。
「予備校の先生から言われたわけではないんです。自分で全部分析しました。『何をやらないかを決める』ことが、すごく大事だと思っていました」(三木さん)

久留米大学附設高校時代の三木さん(写真右)
東京大学経済学部を卒業した三木さんは、1995年に三菱地所へ入社した。
父親が建設関連の仕事に携わっていたこともあり、以前から街づくりには関心があった。福岡・天神にあった商業施設「IMS」への憧れに加え、当時の三菱地所がロックフェラーグループ社に資本参加するなど、海外で不動産事業を展開していたことにも魅力を感じたという。
三菱地所時代の三木さん(写真右)
入社後は丸の内エリアの活性化プロジェクトに関わり、先輩とともに「オープン・24時間・グローバル」というコンセプトを掲げ、丸の内カフェなど、新たな街づくりの企画を進めた。一方、20代だった三木さんの中では、より短い時間軸で意思決定し、結果まで見届けられる仕事への関心が次第に強くなっていった。
「スケールの大きな仕事に関われる一方で、街づくりは成果が出るまでの時間軸が非常に長い。若い自分が『自分の判断で物事を動かしている』という手応えを得るには、時間がかかる世界でもありました」(三木さん)
1990年代後半、インターネットは急速に社会へ広がり始めていた。高校時代からの友人だった孫泰蔵さんにキャリアについて相談したことがきっかけとなり、兄の孫正義さんと会う機会を得た。
孫さんとの面談では、「300年続く会社をどうつくるか」と尋ねられた。三木さんが着目したのは、生物が環境変化に適応しながら存続してきた「多様性」だった。
「僕は化石を掘ることや、進化論や恐竜が好きだったんです。生物はいろいろな種類が存在するから、環境が変わっても、その中のどれかが適応して生き残ることができる。300年続く会社も同じではないかと思ったんですよね」(三木さん)
孫さんはその説明を聞くと、人事部長を呼び、三木さんに入社を勧めた。
「本当にその場で『入社するんだ』と言われました。『今日決めるんですか?』と思いましたけどね(笑)」(三木さん)
1998年、三木さんは三菱地所を離れ、ソフトバンクへ転職した。
ソフトバンク入社後、三木さんはすぐに孫さんのもとで働き始めた。本人の表現を借りれば、最初の仕事は「カバン持ち」だった。孫さんに同行して会議の議事を取り、アイデアが出れば自分なりの考えを返す。経営者の思考に日々向き合う役割だった。
「いわば経営の壁打ち相手ですよね。孫さんが何かを思いついたら、それに対して自分の考えを返す。この毎日が、結果的には一番の勉強になりました」(三木さん)
2000年、27歳で社長室長に就任した。その後は、ナスダック・ジャパン市場の創設、日本債券信用銀行(現・あおぞら銀行)の買収、Yahoo! BBなど、ソフトバンクの事業を大きく動かす案件に、プロジェクトマネージャーとして次々と携わる。
「常識で考えれば『99%無理』と言われるようなプロジェクトに、どんどん放り込まれました」(三木さん)
三木さんがソフトバンク時代で最も厳しかったと振り返るのが、Yahoo! BBである。孫さんは先に発表日や期限を置き、そこから必要な準備を逆算することが多かったという。三木さんは、ソフトバンクで身につけた仕事の基本を三つに整理する。
「ゴールを決めて逆算する。それを数値化する。そして、実績と計画との差をものすごく細かく分析して、毎日その差を詰める。突き詰めると、この三つなんです」(三木さん)
実務と並行してプロジェクトマネジメントの標準的な方法論を学ぶ中で、東大受験時に自ら行っていた分析との共通性にも気づいたという。
日本債券信用銀行の買収プロジェクトでは、20代後半で預金保険機構との交渉にもあたった。案件をまとめた際、孫さんから「よくやった」と声をかけられ、寿司を食べに連れて行ってもらったことは、今でもよく覚えているという。
ソフトバンク時代、孫正義さんと三木さん
自ら経営者となった今、当時の孫さんの要求の見え方も変わったという。
「当時は理不尽だと思ったことでも、自分が経営する側になると、『あれは会社の未来を守るための判断だったのか』と腑に落ちることがあります。人を信じて任せることと、数字で厳しく見ることは矛盾しない。それは孫さんの背中から学んだことですね」(三木さん)
後のTORAIZの原型となる英語学習も、ソフトバンク時代に始まった。入社時、三木さんは英語について「日常会話程度ならできる」と答えていた。しかし、孫さんと米国のYahoo!本社を訪れた際、会議でほとんど話すことができなかった。現地では孫さんがフォローしてくれたが、その配慮がかえって自身の力不足を痛感するきっかけになったという。
「あの時は本当に絶望的でしたね。三菱地所を辞めて転職してきたのに、大恥をかいてしまった。孫社長にも恥をかかせてしまったような気持ちになって、本当に穴があったら入りたいと思いました」(三木さん)
帰国後、本格的に英語を学び始める。学習を始めるにあたり、三木さんが最初に定めたのは、「どこまでできれば仕事で通用するのか」というゴールだった。
ネイティブのような発音や表現を身につけることではなく、ビジネスの現場で相手の話を理解し、自分が伝えるべきことを伝えられるようになる。その具体的なモデルに据えたのが、日々そばで聞いていた孫さんの英語だった。
「孫社長の英語を聞いていると、単語も文法もシンプルなんです。それでも相手はちゃんと理解している。それだったら、自分にもできると思いました」(三木さん)

必要な能力を、リスニング、頻繁に使う表現やパターンの習得、ネイティブとの実践などに分け、学習方法を組み立てていった。学習量についても、「1000時間」を一つの目標に据えた。1日3時間なら、どの程度の期間が必要になるのかを計算し、神田の語学学校にも通いながら取り組んだ。
「英語も、受験勉強も、ソフトバンクでやったプロジェクトマネジメントも、結局は全部同じなんですよ。ゴールを決めて逆算し、数値化して、計画と実績との差を詰めていく」(三木さん)
同じ語学学校に通っていた7人にもこの方法を試してもらったところ、全員が話せるようになったという。
「みんなでこの方法をやったら、話せるようになった。そこで、自分だけのやり方ではなく、再現性があるんじゃないかと思ったんです。自分の一番の挫折が、そのまま事業の種になったわけです」(三木さん)
2006年、三木さんはソフトバンクを離れ、独立した。
「孫さんのそばで大型プロジェクトを動かしているうちに、自分自身の判断で、ゼロから事業を立ち上げてみたいという思いが強くなっていきました」(三木さん)
創業後は、Yahoo!と連携したeラーニングのポータル事業などを展開した。約300の学習コンテンツを扱うなど事業を広げたが、日本ではeラーニング市場が思うように伸びず、次の事業を模索することになった。
その後もロボットを活用した事業や子ども向け英語教育など、さまざまな可能性を検討した。その中で、日本人の学習における課題と市場のニーズを見極め、英語へと領域を絞っていった。2015年にスタートしたのが、現在の英語コーチング「TORAIZ」である。TORAIZの事業が広がり、組織が大きくなると、人を育て、評価し、任せるという新たな課題が前面に出てきた。
「起業して、一番大きな壁は何だったかと言えば、やっぱり『人』ですよね」(三木さん)
ソフトバンクでは、Yahoo! BBをはじめ、多数の人員が関わるプロジェクトを率いてきた。しかし三木さんは、プロジェクトマネージャーとして組織を動かすことと、経営者として組織を育てることの間には大きな違いがあったと話す。
「プロジェクトマネージャーとしていろいろな仕事をしてきたから、会社もやれるだろうと思っていたんです。でも、実際には違いました。継続的に人を育てて、誰をどう評価し、どう昇進させていくのか。そういう組織づくりは、ほとんど経験していなかったんです」(三木さん)

創業時に思い描いていた会社像は、「社員が自発的にイキイキと働く海賊みたいな集団」だった。できる限り細かく管理せず、一人ひとりが主体的に動く。三木さん自身も、それが良い組織のあり方だと考えていたという。しかし、組織が大きくなるにつれ、社員の経験や習熟度によって任せ方を変える必要があると考えるようになった。
「まだ知識や経験がない人に『自由にやっていい』と言っても、できないんですよね。今振り返れば、それは自由ではなく、放置だった部分もあると思います」(三木さん)
現在、三木さんが経営で重視しているのが「シチュエーショナル・リーダーシップ」の考え方だ。相手の知識や経験に応じて、具体的な指示から始め、徐々にフィードバックや支援の仕方を変え、最終的には本人に委ねていく。
「リーダーシップは、その人の発展度合いに応じて個別に変えなければいけない。経営については、僕はいま、これに尽きると思っています」(三木さん)
2025年、50代となった三木さんは、UCLA Anderson School of ManagementとNUS Business Schoolが共同で提供する「UCLA-NUS Executive MBA」で学び始めた。
きっかけは、TORAIZの受講生とのやり取りだった。
「『いつかMBAを取りたい』という受講生がたくさんいらっしゃいます。僕はそういう方々に、『英語を身につけて、どんどん飛躍してください』と言ってきた。でも、そう言っている自分自身が留まっていていいのか、という思いが強くなったんです」(三木さん)
約15カ月にわたり、シンガポール、米国、中国、UAEなどを移動しながら、各国の経営者や管理職と学んだ。朝から夜まで講義を受け、その後もグループワークが続く日程は想像以上に厳しく、「ソフトバンク時代の地獄の会議を思い出した」と笑う。
取材を行った2026年9月は、プログラムを修了した直後だった。そこで得た学びは、すでにTORAIZの経営にも反映されている。

UCLA-NUS Executive MBA修了時の三木さん
「自分の会社をずっとケーススタディとして使っていたんです。経営戦略を発表すれば、クラスのメンバーからいろいろ言われるし、教授からもフィードバックを受ける。その結果、1年前と今では会社が全然違う。経営そのものがかなり変わっています」(三木さん)
EMBAで世界の経営を学ぶ中で、日本企業の見え方にも変化があった。
「意外だったのは、世界で教えられている経営の考え方が、日本企業がもともと持っていたものと結構つながっていることなんです」(三木さん)
組織全体で学び続けること、時間をかけて人材を育てること、継続的に改善を重ねること。ともすれば旧来型と見られる日本的な経営にも、世界で語られる経営の要諦と重なる部分が少なくないと感じたという。
「海外へ行って、日本企業には本当はかなりチャンスがあると思うようになりました。日本という国も、日本企業も、結構明るいなと思って帰ってきたんです」(三木さん)
取材の終盤、日本からもっと挑戦が生まれるためには、何が必要かを尋ねた。三木さんが語ったのは、年齢や経歴にかかわらず、自ら挑戦する側に立つことだった。
「私は受験も苦手で、英語で大恥もかいた、決して天才型ではない人間です。それでも前に進めたのは、『何をやらないかを決めて、ゴールから逆算して本気でやる』ことを続けてきたから。50代になっても学びの場に飛び込めるのですから、年齢も経歴も、挑戦しない理由にはなりません」(三木さん)
三木さんは今後、これまで培ってきた教育の仕組みを、世界へ広げたいと考えている。
「僕は、教育って最高に素晴らしいと思っているんです。アジアの子どもたちをはじめ、世界中に教育を届けられるプラットフォームをつくりたい。よく『世界を変える』と言いますけど、僕は教育でしか世界は変わらないと思っています」(三木さん)

教育を重視する理由を尋ねると、三木さんは自らの歩みを振り返った。
「僕自身、九州の田舎から出てきて、東大に行って、ナスダック・ジャパンをつくったり、銀行の買収に携わったり、通信事業をつくったりした。自分でも信じられない人生ですよ。でも振り返ってみれば、学んできた結果、いろいろなことができたんですよね。人は学べば、いろいろなチャンスがあると思っています」(三木さん)
最後に、なぜ教育を事業として続けるのかを尋ねた。
「どうすれば効率的に学べるのかということなら、24時間、365日考えていても嫌じゃないんです。今もずっと考えています。自分が人生をかけるなら、教育なんだと思っています」(三木さん)

三木さんの著書はこれまで何冊も読み、その仕事観をいつか直接伺いたいと思っていました。孫正義さんの側近として数々の大型プロジェクトを担った経験を、本人はいまどう捉えているのか。今回、「社長の原点」でその機会が実現したことを、うれしく思います。
取材では、少年時代からソフトバンク、英語学習、起業、Executive MBAまで話題が尽きず、あっという間でした。話題は大きく移っても、目標を定め、自ら方法を組み立てるという考え方は変わりませんでした。
また、一つひとつの経験を、その場限りの成功や失敗で終わらせていないことも印象的でした。進化論への関心は「多様性」という経営の視点に、東大受験で培った逆算思考は、プロジェクトマネジメントや英語学習へと形を変えて生かされてきました。三木さんは、経験から得たものを、その後の判断や行動に繰り返し生かしてきたのだと思います。
そして、Executive MBAを修了されたばかりの三木さんが語った、「年齢も経歴も、挑戦しない理由にはならない」という言葉は、私自身への問いとしても残りました。「日本から一つでも多くの挑戦を生みたい」と掲げる以上、JMP自身もまた、新しい場所へ踏み出し続ける存在でありたいと思います。
トライズさんには、JMPのパートナー企業として参画いただいています。これからも、学びや挑戦をテーマに、JMPとして新たな取り組みをご一緒できればと思います。三木さん、貴重なお話をありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

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