日本が次のステップへ進むには、グローバルな視点が欠かせない。挑戦者のためのWEBメディア『JapanStep』の新連載「越境スピリット~世界で輝く日本人」では、海外で活躍する日本人のキャリアや活動、その根底にある哲学や価値観を深掘りしていく。初回に登場するのは、中国・上海を拠点に日中間のオープンイノベーションを牽引するジャンシン・ジャパン創業者CEOの田中年一さん。「年齢、性別、国籍、企業文化を超えた交流を生み、価値を創造することが自分の原点だ」と語るその歩みは、挫折と再起を経て形づくられた越境者としての哲学そのものだ。(文=JapanStep編集部)
ジャンシン・ジャパン 創業者CEO
田中 年一さん
東京大学工学部卒業後、外資系IT企業を経てデロイトトーマツに勤務し、M&AやIPO支援に従事。2005年から上海に駐在し日中プロジェクトを経験した。2015年にジャンシン・ジャパンを創業し、東京や深センにも拠点を設立。スタートアップと大企業をつなぐ日中唯一のアクセラレーターとして、日中間でのオープンイノベーションを推進し高く評価されている。
ジャンシン・ジャパンは、日中間のオープンイノベーションを推進するアクセラレーターとして2015年に設立された。大企業とスタートアップをつなぎ、両国の強みを掛け合わせることで新たな価値を創出することを使命とし、これまで数多くの協業や実証実験を支援してきた。創業者でありCEOの田中年一さんは、この仕組みを「年齢、性別、国籍、文化を超えて交流を生み出す場」と位置づけ、自らの原点を体現する事業として育ててきた。
創業時の田中さん(写真中央)苦労がありながらも「日本に戻ろう」と思ったことはなかったという
田中さんは青森県出身。東京大学工学部航空宇宙工学科を卒業後、ITエンジニアとしてキャリアをスタートした。しかし理系の知識だけでは社会や経済の複雑な仕組みを理解できないと痛感し、米国公認会計士(USCPA)の資格を取得。2002年にデロイトトーマツに転職し、東京で会計監査などを経験した後、2005年に上海オフィスへ赴任した。ここで中国企業の日本IPO支援やM&A業務に携わり、特に2004年には香港企業の新華ファイナンス社を日本市場に上場させるという前例のない案件を担当。中国と日本をつなぐ実務の最前線で、貴重な経験を積んだ。
上海での4年間、同世代の起業家や経営者との交流を通じて「自分もいつか挑戦したい」という思いを強める。36歳で独立を決断したのは「40歳を過ぎれば挑戦は難しくなる。あの時挑戦しておけばよかったという後悔はしたくない」という信念からだった。しかし、最初に参画した内装設計施工会社は、外部環境の悪化により事業縮小を余儀なくされ、リストラを経て解散。大きな挫折を味わうこととなる。
それでも田中さんは再起を誓い、2015年に匠新(ジャンシン)を立ち上げた。社名は「日本の匠の技術と中国の創新(イノベーション)で日中間に新たな価値を創造する」という思いを込め「匠新」とした。会計・IT・国際経験を活かし、日中のスタートアップと大企業をつなぐプラットフォーム構築に挑み始めた。(現在は社名をジャンシン・ジャパンに変更)
創業から10年、ジャンシン・ジャパンは日中間のオープンイノベーション推進役として存在感を高めてきた。初期は日本のスタートアップの中国進出支援を中心に、上海・台北・福岡・大阪・東京を結ぶネットワークを構築。その後、日本企業が中国のイノベーションに関心を寄せるようになり、ジャンシン・ジャパンは「日中アクセラレーター」として活動を拡大した。

ジャンシン・ジャパンの提供するサービスは幅広い。日本企業に対しては、中国理解のためのセミナーや視察、協業先選定、実証実験のプロマネ支援、事業化支援など、取り組みの各段階に応じたサポートを行う。現在、収益の7割以上は日本事業会社からの依頼で成り立ち、同社が日中エコシステムの要として確かな地位を築いていることを示している。

その成果は具体的な事例に表れる。たとえばパナソニックや三井住友海上、日本郵船、中国重工大手の三一重工による大型EVトラック実証実験では、バッテリー管理や安全性検証、デジタルデータに基づく保険商品の開発などが行われた。また、ソニーやPFUとの創業競争イベントの共同開催、村田製作所やヤンマーと中国企業との技術交流も実現。ジャンシン・ジャパンが築いた信頼関係は、企業の新たな挑戦を後押しする原動力となっている。

田中さんは「国境や文化を超えた交流からこそ新しい価値が生まれる」と語る。官民・学・投資機関を巻き込んだコミュニティづくりを推進し、今やジャンシン・ジャパンは日中双方にとって欠かせないオープンイノベーションの基盤として位置づけられている。
田中さんが大切にしているのは、四つの思いである。第一に「徹底的に実績を積み上げること」。机上の理論ではなく、成果で信頼を勝ち取る姿勢である。第二に「自らのやりたいことを追求すること」。挑戦の軸を自分の内面に置き、信念に従う。第三に「周りから必要とされること」。社会や企業からの要請と自分の経験を結びつけることを重視する。第四に「年齢・性別・国籍・文化を超えた交流から価値を創ること」。これは田中さんが繰り返し語る自身の原点でもある。
10周年を迎えた今、田中さんは「次の10年こそ大きな挑戦の時」と語る。世界が複雑化する中で、民間レベルの信頼と協力を継続することが重要だと強調し、東アジア全体を視野に入れた連携強化を構想している。AIやロボティクス、EV、新エネルギーといった新領域での日中協業を深化させ、技術投資や実証実験を通じた共創モデルをさらに拡張していく方針だ。
田中さんのビジョンは単なる経済利益の追求にとどまらない。「国境を越えた挑戦を続けることで、次世代に開かれた新しい舞台をつくりたい」。その言葉には、挑戦者として歩んできた越境スピリットが凝縮されている。
2025年7月、JapanStep編集部は、中国・上海で開催されたジャンシン・ジャパンの10周年記念シンポジウムを訪問しました。大盛況のシンポジウムで私が特に胸が熱くなったのが田中さんのプレゼンテーション。異国の地で、苦労しながらも、10年以上走り続けてきた情熱と強い意志を感じ、JapanStepの読者の皆様にも是非この情熱を知っていただきたいと、今回取材を実現しました。「スポーツ」「音楽」「マジック」を趣味の三種の神器と語る田中さんは、プライベートでも全力投球。マジック歴も20年以上で、年に数回マジックショーもされていらっしゃいます。人間味あふれる素敵な田中さんのご活躍をこれからも応援したいですし、JapanStepのパートナ―企業であるジャンシン・ジャパンさんとも引き続き多くの共創が生まれることを楽しみにしています。
