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2026.03.18

アフリカから次の10年の産業を創る【連載】越境スピリット~世界で輝く日本人

海外で挑戦を続ける日本人に直接話を聞き、キャリアや価値観を深掘りしながら、世界で活躍するための実践知を探る本連載。今回登場するのは、ナイジェリアを拠点にアフリカのスタートアップ投資を牽引するKepple Africa Ventures ジェネラルパートナーの品田諭志さんだ。東京大学入学直後に休学届を出し、アフリカへ飛び込んだ。行動の裏には、挑戦を美談にしない品田さんの探究心と初速があった。「日本が生きづらかったら外に出ればいい。今の場所から逃げたい気持ちで一歩を踏み出すのもいい」。負の感情すら燃料に変え、産業の芽に資本と伴走を結ぶ——越境者としての現在地に迫る。(文=JMPプロデューサー 長谷川浩和)

Kepple Africa Ventures(ケップルアフリカベンチャーズ)
ジェネラルパートナー
品田諭志さん

東京大学農学部を卒業後、双日に入社。インフラ・エネルギー領域の事業開発・投資に携わり、約4年半のナイジェリア駐在で現場のオペレーションと事業推進を経験した。Harvard Business SchoolでMBA(2019年)を取得後、Kepple Africa Venturesの創業に参画。現在はナイジェリアを拠点に、アフリカのスタートアップ投資とファンド運営、起業家へのハンズオン支援を担う。アフリカ約40カ国、世界110カ国を訪問し、累計約120億円規模の投資実績を持つ。

転校6回の少年が、アフリカへ向かった理由

ナイジェリアを拠点に、アフリカのスタートアップ投資を牽引するKepple Africa Ventures ジェネラルパートナーの品田諭志さん。その原点は「海外志向」や「起業家マインド」といった言葉だけでは捉えきれない。小学校時代の転校は6回。ほぼ一年に一度のペースで住む場所が変わり、国内に加えてロンドン、ジュネーブ、フランクフルトでも暮らした。

新しい土地に着くたび、言語も学校の規律もクラスの空気も変わる。環境に適応しようとするほど、今度は「自分をどう出していいか」が見えなくなる。合わせたいのに、合わせ方が掴めない。そうした葛藤を重ねるうちに、自然と「個」が強くなっていったという。

その経験は価値観の前提も書き換えた。
「環境って、変わってもよいものなんだと思いました。変化は例外ではなく常態であり、移動し続けることこそが人生、という感覚も根付いたように思います」(品田さん)

ところが、中高一貫校に入ると真逆の苦しさに出会う。6年間、ほぼ同じ友人、同じクラスメイト、同じルール。変化がないことが、猛烈なストレスになった。
「同じ環境が嫌だという感情が強まりましたね。少しでも環境を変えたくて、中学1年の冬には子ども3人だけでスキー旅行を企画しました。親には当然反対されましたが、友達の親御さんも自分が説得して実現させました」(品田さん)

高校1年の春には初めて1人で中国へ行く。ただ、品田さんはそれを“挑戦”と呼ばない。
「挑戦などいうカッコいいものではなく、逃避と憧れが半々だったように思います」(品田さん)

転機となったのが祖母との約束だ。「東大に入ったら100万円あげる」。目的は決まった。東大に入る。その100万円を元手に、日本を出てアフリカに行く。

では、なぜアフリカだったのか。品田さんが求めたのは“未知”への渇望である。小学生の頃から世界地図を見るのが好きで、耳慣れない地名に惹かれた。ジュニア向け年鑑を読み込み、世界の出来事や統計に触れながら、サントメ・プリンシペのような小さな国の独立運動に思いを馳せる。探検家や人類学者、言語学者の本を読み、知らない場所、誰も行かない場所に行きたいという思いがさらに強まっていった。

東京大学に入学すると、間を置かず休学届を出し、アフリカへ向かった。バックパッカーの定番ルートは選ばない。イエメンから漁船をヒッチハイクしてジブチへ入り、そこから乗り合いトラックで大陸を横断し、憧れのサントメ・プリンシペを目指す。人の行かない場所へ、人の行かないやり方で行く。その選択は反抗心というより、「自分にしかできない達成感を味わいたい」という剥き出しの探究心に近い。

2001年、スーダンからチャドへトラック荷台で移動中(写真提供=品田諭志) 

2003年、コンゴ河くだりのカヌーにて(写真提供=品田諭志)

2004年、ソマリアにて(写真提供=品田諭志)

現地で得たのはロマンだけではない。スーダンの香辛料市場で、地元の人と同じようにくしゃみをする。直射日光の下、トラックの荷台で何日も揺られる。辛いのは自分だけではなく、みんな辛い。違いより先に、「人は同じように息をして生きている」と実感したという。

もう一つ、価値観に輪郭を与えたのが「お金を稼ぐこと」に対するアフリカの人たちのエネルギーだ。給与が振り込まれるのを待つのではなく、今日を生き抜くために商売をする。お金を稼ぐこと自体が人生であり、共通言語であり、対等な土俵を提供する。
「国際協力への憧れもありましたが、同じ土俵に立つなら、稼ぐ側に回らないといけないと感じたんです。大学卒業後、就職先に選んだのは総合商社でした。逆にいうと、それくらいしか選択肢がありませんでした」(品田さん)

既得権益の足元で、産業の芽が動き出した

念願の総合商社に入社し、アフリカに関わる部署へ——。一見すると、一直線のサクセスストーリーに見える。だが品田さん本人は、社会人のスタートを「つまらなかった」と言い切る。最初の仕事は自動車輸出の実務で、輸出入の貿易実務や与信管理など、単調なデスクワークが中心だった。ダイナミックな事業開発を夢見ていた品田さんにとって、それは期待していた「事業開発」とは遠く、入社2年目には退職すら頭をよぎったという。

転機は、入社2年目に訪れた。社内に「アフリカ戦略要員」のポストが新設され、ナイジェリア駐在に抜擢された。同期のなかでも最も早い海外駐在である。そこから約4年半、エネルギーとインフラの事業開発・投資という、品田さんが志向していた現場の仕事が始まる。

商社時代の品田さん(写真提供=品田諭志)

ナイジェリアのビジネス環境は、日本の大企業的なヒエラルキーとは別のルールで動いていた。政府高官や既得権益を握る有力者と直接渡り合い、相手の懐に飛び込み、信頼関係を築かなければプロジェクトは前に進まない。
「上司の指示を待つのではなく、自分で考え、決断し、個人として動かなければなりません。そうした環境が『起業家気質』を鍛えてくれたようにも思います。ナイジェリアでは企業名よりも、個人との関係が重視されます。難しさはありましたが、そうした環境は自分の気質に合っていたと思います」(品田さん)

現地での経験を積み、実績も出し始めたころ、品田さんは次の転換点に直面する。品田さんの視界に、もう一つの“うねり”が入ってきたのだ。
「2014年頃から、ナイジェリアで起業ブームが始まったんです。シリコンバレーやインドのテックブームに刺激を受けた起業家が現れ、本来は海外に出て戻ってこないはずの優秀な人材が次々とナイジェリアに帰国し始めました」(品田さん)

面白いのは、帰国した若い世代の多くが、品田さんが当時仕事をしていた既得権益層の子弟世代だった点だ。親世代が築き上げた非効率なシステムを、海外帰りの若い世代がテクノロジーで壊し、ボトムアップで社会を更新しようとする。品田さんは同世代の彼らと交流を深める中で、確信を深めていく。
「これからの20年、ナイジェリアを牽引するのは間違いなくこの起業家たちだ」(品田さん)

そして「彼らと同じ土俵に立ち、共に新しい産業を創りたい」という思いが、輪郭を持って立ち上がった。同時に、自分の側の課題も見えてきたという。
「商社での経験はありましたが、ベンチャーでの経験はなく、テック投資への理解とネットワークを、体系的に身につける必要があると感じました。何より、当時の優秀な若い世代の多くがアメリカに渡っているなか、そうした起業家たちと『共通言語』で話すための視座が必要だと感じたんです」(品田さん)
品田さんは、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)でMBAを取ることを選んだ。

ビジネススクールでは、就職活動に一定の時間を割く学生が多い中、品田さんは就職活動を一切しなかったという。目的は明確だった。アフリカでVC(ベンチャーキャピタル)をつくるための時間に充てる。南米出身でPEファンド(プライベート・エクイティ・ファンド)やVCの世界を渡り歩いてきた教授のもとで、投資仮説を磨き、論点を言語化し、現地で起きている変化と投資機会を「説明できる形」に落とし込んだ。
「VCでの経験がない私でしたので『一度アメリカのVCで働いた方が良い』など、多くの方からアドバイスや反対意見ももらいました。でも私には、その選択肢は全くありませんでした」(品田さん)

「挑戦しなかった」からこそ生まれた「日本の強み」もある

MBA取得後、品田さんはKepple Africa Venturesの創業に参画した。現在はジェネラルパートナーとして、ナイジェリアを拠点にアフリカで投資とファンド運営、起業家へのハンズオン支援を担う。

 
(写真提供=品田諭志) 

Kepple Africa Venturesが取り組むのは、資金を投じて終わる投資ではない。現地の起業家と同じ目線で課題をほどき、プロダクトの磨き込みから採用、提携、次の資金調達までを伴走する。品田さんが繰り返すのは、アフリカを「遅れているから伸びる市場」として捉えないことだ。むしろ「未整備だからこそ、必要性が先に立つ市場だ」と捉える。決済、物流、与信、医療、教育——生活や産業の“当たり前”を下支えする領域ほど、変化は速く、勝者が取るリターンは大きい。だから投資判断では、目先のトレンドよりも「構造的に必然があるか」「現地でしっかりオペレーションに落とし込めるか」「誰が最後までやり切れるか」を重く見る。資本の論理を持ち込みながら、現場の温度を失わない。その両立が、同社の強みになっている。

2025年2月、Lagos Tech Festのスピーカーとして登壇後、参加者とともに(写真提供=品田諭志)

日本企業の可能性についても品田さんは力強い言葉で語る。
「アフリカは“遠い新興国”ではなく、次の産業基盤が立ち上がるフロンティアです。アフリカ大陸の人口は約15億人規模。仮に10%が優秀な人だとして、それだけで日本の人口を超える計算になります。優秀な人材が集まる場所に資本を投下すれば、物事がエクスポネンシャル(指数関数的)に成長していく歯車が回る可能性が高まります」(品田さん)

TICAD(ティカッド:アフリカ開発会議)BUSINESS EXPO&CONFERENCEに登壇する品田さん(写真提供=品田諭志)

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