海外で挑戦を続ける日本人に直接話を聞き、キャリアや価値観を深掘りしながら、世界で活躍するための実践知を探る本連載。今回登場するのは、マナー/コミュニケーションコンサルタントの金澤優子さんだ。語学も海外も無縁だったという彼女は、夫の転勤帯同で、25年間にわたり6都市8回の環境の変化を経験。その途中、ロンドンのフィニッシングスクールで出会った世界基準のマナーが大きな転機となる。そこで得たのは、型の先にある「ロイヤルマインド」——「自分が恥をかいてもいい。相手を守るためのもの」という国際基準の思想である。「怖いと思うことを絶対にやった方がいい」。金澤さんの言葉の裏側にある、越境のリアルを追う。(文=JapanStep Media Projectプロデューサー 長谷川浩和)

マナー/コミュニケーションコンサルタント
金澤優子さん
大手金融機関で富裕層向けの顧客対応を担ったのち、25年間にわたり6都市8回の転勤を経験。パリで学んだ美意識と、ロンドンのフィニッシングスクールで出会った世界基準のマナー/ティーカルチャーを掛け合わせ、マナー/コミュニケーションコンサルタントとして活動する。パリ、ニューヨーク、東京、クアラルンプールなどを拠点に、フードと紅茶のマリアージュ、振る舞いとコミュニケーションの設計を通じて、のべ4,000名以上に指導。企業イベントや教育機関での登壇、コラム執筆など実績多数。18歳の息子の母。
現在フランス・パリを拠点にマナー/コミュニケーションコンサルタントとして活躍する金澤優子さんは、東京生まれ。物心がつく前から10年ほどは三重県で育った。
「父は技術職のサラリーマン。母は薬剤師でした。一人っ子で過保護な環境で育ったように思います。理系で、投資にも関心の高い母の影響がすごく大きかったです。幼い頃から好奇心旺盛。人を笑わせるのが好きで、率先して人をまとめるような子どもでした」(金澤さん)
一方で、金澤さん自身は「注意散漫で、マイペース」だったと自己分析し、「きちんとした人に見られたい」という枯渇感が常にあったという。そのことが就職活動にも大きく影響した。
大学卒業は就職氷河期。やりたいことが明確だったわけではない。叔母がインテリアコーディネーターをしていたこともあり憧れはあったが、内定を得ることはできなかった。選んだのは、投資をしていた母の影響で馴染みのあった金融業界だった。
しかし入社後、最初の壁にぶつかった。配属されたのは顧客対応。相談内容は「投資相談」「運用相談」など多岐にわたった。金額の大きな相談も多く、投資信託、債券、株など商品知識も必要で、敬語と所作を含めた「格式のある応対、マナー」が求められた。
「最初は本当につらかったです。半年間は半泣きしながら会社に行っていました。ただ今振り返ってみると、この頃鍛えられた『基礎体力』が後の仕事にもとても生きているように思います」(金澤さん)
転機が訪れたのは、夫が社内制度を利用してMBA留学の切符を手にしたことだった。留学先がフランスに決まり、金澤さんも銀行を退職して同行することになる。
当時、金澤さんは働きながら夜間にインテリアコーディネータースクールや宅建の資格取得に励むなど、自身の道を模索していた。しかし、インテリアの仕事は土日勤務のため家族との時間が取れないことや、顧客の好みに合わせた提案をする必要があることに違和感を覚えていた矢先、授業の一環で体験した「フラワーデザイン」に強烈な感銘を受けた。
「フラワーデザインを学んだ時に『これだ』と直感的に感じたんです。『花の先進国であるフランスで学びたい』と夫に懇願もしましたが、夫に一蹴されていました(笑)。が、その直後に夫のフランス赴任が決まったんです。一生分の運を使い果たしたと思いましたね」(金澤さん)
意気揚々と26歳で渡ったフランスだったが、待ち受けていたのは「言語の壁」という厳しい現実だった。当時のフランスはユーロに切り替わったばかりで、今より英語が通じる人は多くない社会だったという。
「半年間フランス語の語学学校に通ったものの、現地のフラワースクールに入ると先生の言葉はちんぷんかんぷんでした。1時間レクチャーを聞いて、理解できたのはたったの1割だったことも。でも、その1割を頼りにノートにメモを書きなぐり、授業後に先生のところに走っていって『これはこういうことですか?』と必死に確認しました。言葉が通じないことで、現地コミュニティに入り込めない疎外感や「冷たい対応」を受けるなどの苦労もありましたが、それを上回るほど『花の技術を学ぶ喜び』がありました」(金澤さん)
しかし、このフランスでの生活は、その後25年間にわたる「6都市8回の転勤生活」のほんの序章に過ぎなかった。
フランス生活の後、金澤さんを待ち受けていたのはイギリス・ロンドンへの転勤だった。当時のイギリスは好景気に沸いていたが、フランス語圏から英語圏への突然の移動は、金澤さんにとって次なる試練となった。
「今度は英語。でも、英語が全然できなかったんです。地下鉄の改札で通れない際に、その説明ができないレベルからスタートでした。ただ、せっかくロンドンに来たのだから、現地のことを色々学んでみたいという気持ちが湧き出てきました。語学学校に通う傍ら、フラワースクール、料理、美術、そしてオペラと、あらゆる分野に貪欲に首を突っ込みました。そんな折、『イギリスの花はフランスよりオールドファッションだ』と感じ、自宅で自らフラワーデザインの教室を始めることにしたのです」(金澤さん)
(写真提供=金澤優子)
教室は口コミで広がり順調に滑り出したかに見えたが、思わぬところで問題が浮上。生徒に出した紅茶が「びっくりするほど、まずい。恥ずかしながら、当時デパートで買った紅茶を出せばいいと思っていたのですが、選んだのが淹れ方の難しいダージリンだったんです。美味しいと言ってくれる人は誰もいませんでした。この経験を親友に話したところ、『せっかくイギリスにいるのだから紅茶を勉強すればいい』という助言を受け、近所にあるフィニッシングスクール(マナーと紅茶のコース)」の門を叩きました」(金澤さん)
紅茶の淹れ方を学ぶつもりで通い始めたスクールだったが、金澤さんはそこで人生を変えるほどの衝撃的な事実に直面した。
「授業の大半が『世界基準のマナー』についてだったんです。例えば、日本で茶道を習う際、お辞儀の角度や挨拶、和室でのふるまいなど、実践的な礼儀作法を学びますよね。ロンドンでの紅茶も同じで、学校で様々なマナーを学びます。驚いたのが日本で良かれと思っていることと、欧米の基準がだいぶ違っていたこと。例えば『座り方』。日本では脇を締めて座るのがおしとやかとされますが、欧米のアッパークラスの人々は絶対にそんな座り方はしません。肩を張り、脇を開けて堂々と座るのです。女性も同様。日本人が良いと考える座り方をしていると自信がないように見られ、扱いが下落してしまうのです」(金澤さん)
この学びは、幼い頃から「ちゃんとした人に見られたい」と劣等感を抱えていた金澤さんの心に深く突き刺さった。
「マナーを学ぶことで、『自分は最低ラインをクリアしている』という安心感と自信を得ることができました。そして何より魅了されたのは、上流階級の『ロイヤルマインド』という概念です。ロイヤルマインドは、型を自分のために使うのではなく、相手が恥をかかないように守るために使う思想のこと。その生き方の美しさに強烈に惹かれ、これを自ら教える側になりたいと強く思うようになったのです」(金澤さん)
しかし、金澤さんの挑戦の裏には常に「夫の転勤」という宿命がつきまとっていた。ロンドンでの出産を経て、再びフランスへ赴任。環境が変わっても金澤さんは歩みを止めない。当時1歳だった子どもを託児所に預けながら、花のディプロマを取得し、自宅でマナーと紅茶を教え始めるという離れ業をやってのけた。だがその1年後、リーマンショックの煽りを受け、夫がアメリカ・ニューヨークへ転勤することになる。
「ニューヨークでの生活は本当に過酷でした。リーマンショック後の大変な時期。夫は深夜まで帰宅せず、完全なワンオペ育児。さらに、イギリス英語にやっと慣れてきたかな程度の私には、アメリカ英語が全く聞き取れなかったのです」(金澤さん)
(写真提供=金澤優子)現地でのタクシー運転手とのトラブルや、良妻賢母でなければならないというプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、コーチングと出会うことでなんとか精神的なバランスを保つ日々だった。そして、ニューヨークでの6年間の生活を終え、東京へ帰国した。
「海外にいる間、駐在妻の友人たちが帰国後に次々と社会復帰していくのを見ていてうらやましかった。私も再び仕事をしたいと思いました。日本でも自宅でマナーや紅茶を教えてみたりもしましたが、趣味の延長のように思われてしまうこともあり、とにかくもどかしかった。このとき通い始めたのが起業塾でした。講師から『あなたには素晴らしいコンテンツがあるが、ビジネスの仕組みが全くない』と指摘され、経営と仕組み化を徹底的に学びました。その結果、仕組み化した翌月に大きな成果を出すことができ、現在の基盤をつくることができました」(金澤さん)
ビジネスが軌道に乗り始めた矢先、またしてもマレーシアへの転勤が決まる。周囲から「せっかくのビジネスがもったいない」と惜しまれる中、金澤さんは2019年というコロナ禍のはるか前から、いち早くZoomを用いたオンラインビジネスの構築に踏み切っていた。
「当時、オンラインなんて誰が受けるの?とマイナスな意見もありましたが、家の近くにそうしたスクールがない地域の方や、外出が困難な方に大変喜んでいただけました。海外の地にいても、ビジネスの基盤は作れる。大きな自信になりました」(金澤さん)

(写真提供=金澤優子)
マレーシアでの生活を経て、現在は3度目の赴任となるパリに拠点を置き、確固たるオンラインビジネスの基盤を築いている。