
世界を舞台に挑戦を続ける人たちは、どんな原点を持ち、どんな壁を越え、どんな未来を見据えているのか。本連載では、自ら道を切り拓く実践者たちの言葉から、読者の挑戦心を刺激するヒントを届けていく。今回お話を伺ったのは、研究開発型バイオスタートアップ、株式会社TL Genomics代表取締役の久保知大さん。京都大学で基礎研究に打ち込み、コロンビア大学への留学、民間企業での事業開発を経て2015年に起業。現在は、血液検査によって自然妊娠のしやすさに関する指標を示す「LOX検査(妊娠力検査)」の世界展開を目指している。研究者から経営者へと歩みを進める中で、久保さんは何を考え、どのような選択を重ねてきたのか。その歩みを追った。(文=JMP総合プロデューサー 長谷川浩和)
▼「挑戦」を生むトレンドニュースを毎日掲載!
挑戦者のためのビジネスメディア『JapanStep』
お話を聞いたのは…

株式会社TL Genomics 代表取締役
久保 知大さん
1979年生まれ、東京都出身。京都大学理学部卒業、同大学院修了、博士号取得。コロンビア大学で生命科学分野の基礎研究に従事した後、バイオ企業で事業開発やマーケティングを経験。2015年に株式会社TL Genomicsを創業した。現在は、独自の検査・診断技術の研究開発と社会実装に取り組み、血液検査によって自然妊娠のしやすさに関する指標を示す「LOX検査」などを展開している。
LOX検査(妊娠力検査)の世界展開を目指す久保さんだが、キャリアの出発点は経営ではない。少年時代に抱いた「科学者になりたい」という憧れだった。東京都で生まれ育ち、武蔵中学校・高等学校へ進学。自ら調べ、自ら考えるという校風や、学者肌の教員たちに囲まれて過ごす中で、科学者への思いは次第に強まっていったという。
「子どもの頃から、なんとなく科学者になりたいと思っていました。具体的に何を研究したいというところまではありませんでしたが、サイエンティストという存在に漠然と憧れていたんです」(久保さん)
大学は京都大学理学部へ進んだ。当初は物理学に関心を持っていたが、自分の適性を考える中で出会ったのが、生命現象を分子レベルから解き明かす分子生物学だった。具体的な応用先よりも、生命を成り立たせている普遍的な原理を探究することに惹かれた。
「当時は、さまざまな生物に共通する原理を解き明かすことに学問的な面白さを感じていました。生命がどういう仕組みで成り立っているのか、その普遍的な原理を知ること自体に魅力があったんです」(久保さん)
そのまま大学院へ進み、遺伝子発現を制御する仕組みについて研究した。具体的には、DNAがコンパクトに収納される仕組みやDNAの情報を受け取ってタンパク質の合成に関わるメッセンジャーRNAの末端部分が、どのような仕組みによって制御されているのかを解明する研究である。
しかし、博士課程での研究は決して順調ではなかった。2年目頃まで思うようなデータが得られず、学位取得にも不安を覚えるほど、成果が出ない時期が続いた。
「今振り返っても、かなりつらい時期でした。このまま何の論文も残さずに研究の世界を去れば、自分がここまでやってきたことが何も残らない。それが悔しかったんです。今さら引くくらいなら、学卒や修士の段階で就職しておけばよかったわけですから、もうここまで来たら引けないという気持ちでした」(久保さん)
転機となったのは、一つの仮説を実験によって裏付けられたことだった。それまで十分に解明されていなかったメッセンジャーRNA末端の長さを制御する機構について成果をまとめ、論文として発表。久保さんによれば、この研究は約20年を経た現在も、関連研究で引用され続けているという。そのように基礎研究の分野で長期に渡って引用され続けることは珍しく、久保さんの研究の価値の高さを裏付けるエピソードだ。
久保さん自身が「大逆転だった」と振り返るこの研究成果を評価したのが、米国のコロンビア大学だった。当時、日本人研究者が海外へ渡る際には、国内で研究費や奨学金を得て海外の研究室へ持参するケースも多かったが、久保さんはコロンビア大学側から雇用される形で渡米した。
久保さんにとって、研究者になるなら米国で研究することは、かねて思い描いていたキャリアの一つだった。コロンビア大学には世界各国から研究者が集まっていた。そこで久保さんは、日本で培ってきた発想力や論理的思考が、世界でも十分に通用するという手応えを得た。
「世界中から優秀な研究者が来ていましたが、日本人がまったくかなわないとは感じませんでした。もちろん、突出して優秀な人はいます。それでも、日本でしっかり学んできた人の発想や論理的に考える力は、世界でも十分に通用すると実感しました」(久保さん)
一方、日本と米国の双方で研究を経験する中で、研究の進め方にも違いを感じたという。特に印象に残ったのが、コロンビア大学における研究者同士の議論の活発さと、人的ネットワークを通じた情報流通の速さだった。
「米国で特に印象に残ったのは、情報の流れ方です。一見すると雑談しているようなディスカッションでも、そこでやり取りされている情報の質が高い。日本との違いとして、研究を進める効率の良さは強く感じました」(久保さん)
コロンビア大学での研究生活には、約2年で区切りをつけた。留学中に起きたリーマンショックを機に、研究者としてのキャリアを現実的に考え直すようになったからだ。
日本では基礎研究のポストが減りつつあり、米国に残って研究を続ける道も考えた。しかし、現地の研究者たちと話してみると、一流大学であっても基礎研究のポストが豊富に用意されているわけではなく、アカデミアから企業への転身にも景気悪化やビザなどの壁があった。
「日本にいた頃は、米国へ行けば、もっといろいろなキャリアがあるのではないかというイメージもありました。でも実際に行ってみると、そんなに単純ではない。リーマンショックの直後に下の階の研究室が一夜にして閉鎖されるような現実を30歳を目前に目の当たりにして、研究一本に絞ることで、自分の人生の選択肢まで狭めてしまうのではないかと考えるようになりました」(久保さん)
久保さんは当時、基礎研究を取り巻く環境が厳しさを増していると感じる中で、研究者としてキャリアを築く難しさも意識するようになっていた。自身の研究が国際的に評価されたとしても、それがそのまま安定した研究ポストにつながるとは限らなかった。
「自分より上の世代であれば、これくらいの研究成果を出せば、研究者として生きていけるという感覚があったと思います。でも自分たちの世代になると、研究として評価されることと、それで生活していけることが必ずしも一致しなくなっていました」(久保さん)
帰国後は大学に戻らず、バイオ関連企業へ転身した。研究職ではなく、外部技術の評価や遺伝子検査キットの海外展開、事業開発、マーケティングなどを担当した。
研究者として蓄えてきた知識を使いながら、その技術が誰にとって価値を持つのか、どのような商品やサービスとして届けるのかを考える。研究室とは異なる視点から技術を見る経験を重ねる中で、久保さんは「遺伝子解析によって生活者に直接価値を届ける事業」への関心を強めていった。
「遺伝子解析の技術を使って、エンドユーザーに直接価値を届けられる事業をやりたいという思いがありました。当時は、そうした用途がまだ限られていたので、何ができるのかをずっと探していました」(久保さん)
そんな中で注目したのが、米国で実用化が進み始めていた出生前診断だった。研究機関や製薬企業のためではなく、検査を受ける本人に直接情報を届けられる遺伝子検査である。
この領域を自分の仕事として強く意識するようになった背景には、久保さん自身の家族の経験もあった。パートナーが双子を妊娠した際、妊娠継続に大きなリスクを伴う状況となり、家族として妊娠継続をめぐる重い選択に向き合った経験がある。
「出生前診断をめぐっては、さまざまな考え方があります。技術が結論を決めるのではなく、必要な情報を届け、その上で妊娠している本人が、必要に応じて医師や家族などと相談しながら考えられるようにする。そのために技術が果たせる役割があると考えました」(久保さん)
この経験と問題意識が、出生前診断を起点に自ら事業を立ち上げる動機の一つとなった。2014年には会社員として働きながら、有給休暇を利用して国内の大学を回り、事業化につながる技術を探した。スタートアップ支援の補助金も獲得し、翌2015年にTL Genomicsを設立する。
「これなら絶対に成功できるという確信があったわけではありません。むしろ、やってみない限り何も始まらないという感覚でした。大学院では中退を考えるほど追い詰められた経験もしているので、それなら、もう一度これくらい大きなチャレンジをしてみてもいいのではないかと思ったんです」(久保さん)
創業後、事業化を進める中で明らかになったのが、起点とした大学発技術をそのまま実用化する難しさだった。早い段階で、技術開発の方向転換を迫られた。
そこで、新たにマイクロ流路デバイスなど、自身がそれまで専門としてこなかった領域にも踏み込んだ。企業として研究開発を進める以上、技術の方向転換は、社員や投資家、限られた資金を伴う経営判断でもある。
それでも久保さんは、研究者だった頃よりも精神的には前向きに取り組めたと振り返る。その大きな理由が、社員という仲間の存在だった。
「研究者の頃は、本当に一人で成果と向き合っていました。でも会社には、一緒に考え、意見をぶつけ合える仲間がいる。冷静に状況を振り返るとかなり厳しかったのですが、研究者だった頃より精神的にはむしろ楽でした。それもあって、研究を楽しもうぜ、と口癖のように言っていました。大学院生の頃に自分の力で初めてデータを出して感激したあの気持ちでやろうよ、と。それに、相談しながら進めれば、一人では出てこなかった知恵も生まれますから」(久保さん)
試行錯誤を重ねる中で技術開発は進み、大手企業との連携にもつながった。出生前診断事業は、研究だけでなく事業化を具体的に見据える段階へ進んでいたが、その間にも市場環境は大きく変化していった。
久保さんによれば、事業を構想した当初は1検査あたり1500~2000ドル程度だった出生前診断の価格が、10年もたたないうちに300~400ドル程度まで下落したという。開発は前進していたものの、市場の変化はそれを上回る速さだった。結果として、当初想定していた事業性を確保することが難しくなった。
「技術としては、かなりいいところまで進んでいました。ただ、市場の変化に開発が追いつかなかった。振り返れば、開発に時間を要したことが大きかったと思います」(久保さん)
技術的な手応えがあっても、市場環境が変われば事業としての前提も変わる。創業から長く取り組んできた出生前診断事業だったが、久保さんは継続が難しいと判断し、撤退を決めた。その後、投資家からは、手元に資金が残っている段階で会社を解散する選択肢も示された。しかし久保さんには、これまで培ってきた技術への手応えと、厳しい局面でも会社に残る社員の存在があった。
「出生前診断事業からは撤退しましたが、自分たちにはまだ良い技術が残っているという自信がありました。そして、この状況でも一緒にやってくれる仲間がいた。この技術とチームがあるなら、会社を閉じるのではなく、もう一度挑戦させてほしいと思いました」(久保さん)
こうして2023年、TL Genomicsは、それまで取り組んできた事業を大きく転換する「グランドピボット」に踏み切った。当時は、新しい事業が成功する保証などなかった。久保さん自身、「残りのガソリンも少なかった」と振り返る中で、これまで開発してきた基盤技術を別の領域に生かせないかと模索を続けた。
新たな研究テーマを探る中で、医療分野の研究者との共同研究も進んだ。久保さん自身が研究者だったからこそ、研究の面白さや課題を共通の言葉で議論でき、そのことが信頼関係や研究開発のスピードにもつながったという。
社内にも研究出身のメンバーが多く、将来的な金銭的リターンだけではなく、「この研究は面白い」「この発見には別の可能性がある」といった科学そのものへの関心を共有できたことも、チームを支えた。
「『これが成功すれば、いくら儲かる』という話だけをしていたら、メンバーは離れていたかもしれません。でも、『このサイエンスは面白い』『これが分かれば、いろいろなことに応用できる』という話ならできた。同じ面白さを共有できたことが、チームの結束につながったと思います」(久保さん)
次の事業の可能性を探る中で、TL Genomicsが着目したのが、「LOX(Loss of X chromosome)」と呼ばれる現象である。
女性は通常2本のX染色体を持つが、加齢などに伴い、一部の白血球では細胞分裂の過程でその片方が後天的に失われることがある。TL Genomicsでは、このLOXを低コストかつ高感度で検出する技術を開発。さらに研究を進める中で、LOXの割合と自然妊娠の成立との間に関連を示すデータを得た。
久保さんにとって、それは一つの研究成果であると同時に、長年探し続けてきた事業の形でもあった。企業勤務時代から考え続けてきた「遺伝子解析によってエンドユーザーに直接価値を届ける」というテーマが、妊娠という領域で具体的なサービスになり得ると分かったからだ。
「データが取れた時は、溺れかけているところから少し陸地が見えたような感覚でした。DNAを解析することが、そのままエンドユーザーへの価値に変わる。自分にとっては、新しい大陸が見えたような気持ちでした」(久保さん)
この研究成果をもとに開発されたのが、LOX検査(妊娠力検査)である。ただし、この検査は将来の妊娠を断定するためのものではない。同社が重視しているのは、妊活や不妊治療において、自分が次にどの選択肢を取るのかを考えるための情報を増やすことである。
不妊治療には、タイミング法や人工授精、体外受精などさまざまな選択肢がある。どの方法を選ぶのか、いつ次の選択肢を検討するのかは、年齢や検査結果、不妊の要因、本人やパートナーの希望などによって異なる。
TL Genomicsが公表している研究では、LOX細胞の割合が高い群ほど自然妊娠が成立する割合が低い傾向が示された一方、体外受精ではLOXとの同様の関連は確認されなかったとしている。なお、不妊の背景には女性側・男性側の要因のほか、双方に関わる要因や原因を特定できない場合などもあり、LOX検査だけで妊娠・不妊を説明できるものではない。同社では、この結果を踏まえ、LOX検査を自然妊娠に時間をかけるのか、早めに体外受精へ移行するのかを考える際の判断材料の一つとして位置づけている。
「検査結果を単純に良い、悪いで受け止めるものではありません。自然妊娠を目指す期間をどう考えるのか、体外受精を含めた次の選択肢をいつ検討するのか。医師とも相談しながら、これからどうするかを考えるための一つの材料として使ってもらいたいと思っています」(久保さん)
上川陽子 衆議院議員に説明をする久保さん
久保さんがLOX検査の意義として重視するのが、妊活や不妊治療に伴う時間的な負担である。体外受精を含む不妊治療では、治療の進行に応じた通院が必要となり、仕事との予定調整が負担になる場合もある。専門的な治療を受けるために遠方の医療機関へ通う場合には、移動や宿泊が負担になることもある。
2026年8月の取材時点では、LOX検査はクリニックでの導入が進み、久保さんによれば累計の検査実績は論文発表から半年で数百件まで広がっており、非常に順調な拡大をしめしている。今後は不妊治療を始めた人だけでなく、将来の妊娠や出産を考える人が自身のライフプランを検討する際にも活用できるよう、法人の福利厚生などへの展開も考えている。
国内での普及を進めながら、海外への展開も視野に入れている。その際に久保さんが重視するのが、知的財産の確保とエビデンス、そして「サイエンスのストーリー性」である。
ここでいうストーリーとは、商品を魅力的に見せるための物語ではない。研究から得られた個々のデータが科学としてどのようにつながっているのか、その仮説や論理に専門家が納得できるだけの筋道があるのか、という意味だ。
「すべてのエビデンスをそろえ、研究し尽くしてから事業化することは現実には難しい。その中でも、研究内容を理解する海外の経営者や投資家に伝えるためには、科学的に筋の通ったストーリーを示すことが重要だと思っています」(久保さん)
久保さんは、バイオテクノロジーは技術やニーズが国境を越えて共有しやすく、世界市場を目指しやすい領域だと考えている。
「まだ世界への挑戦は入り口に立ったところです。ただ、技術は世界共通ですし、ニーズにも世界で共通する部分がある。本当に役立つこと、新しい価値をきちんと示していけば、届く相手は必ずいると思っています」(久保さん)
久保さんは現在、静岡県三島市に暮らしている。創業当初は東京で生活していたが、約6年前に三島へ移住した。さらにTL Genomicsも現在、隣接する長泉町のファルマバレーセンターに拠点を置いている。
なぜ久保さんは三島に暮らし、TL Genomicsは静岡県東部に拠点を置くのか。その背景には、コロンビア大学時代に目にした研究者たちの暮らし方がある。
マンハッタンで暮らしていた頃、久保さんは大学教授や弁護士、企業経営者らの生活を目にした。仕事の場はニューヨークの中心部にありながら、自宅は自然豊かな郊外に置く人も多い。実際に教授の自宅に招かれ、自然豊かな環境で暮らしながら、大学では研究に集中する姿を見て、その暮らし方に惹かれたという。

鈴木康友 静岡県知事との一枚
「研究には創造性や独創性が必要です。それは、豊かな自然環境の中で育まれる部分もあると思っています。米国の先生たちの暮らしを見て、仕事と生活をこういう形で分けるのもいいなと思いました」(久保さん)
創業後もしばらくは東京で暮らしながら事業を続けていたが、自然の近くで生活することへの思いが次第に強まり、三島への移住を決めた。
三島を選んだ理由は、自然環境だけではない。三島は新幹線を使えば首都圏へアクセスしやすく、世界へ出ていくことを考えれば、羽田空港への動線も確保できる。国内外の企業や研究者と直接会える距離感と、研究や思考に集中できる生活環境の双方を考えた結果だった。
「首都圏へのアクセス、羽田空港へのアクセス、そして自然環境。あと富士山。そのバランスを考えると、三島は自分にとって非常に理想的でした。世界を見てきたからこそ、静岡を選ぶことにもあまり違和感はなかったんです」(久保さん)
首都圏や羽田へのアクセスを保ちながら、自然に近い環境で暮らす。久保さんにとって三島への移住は、世界から距離を置くためではなく、自分なりの仕事と暮らしのあり方を選んだ結果だった。現在はTL Genomicsも静岡県東部に拠点を置く。
これまでの歩みを振り返ってもらうと、久保さん自身は、これまでの歩みを「誰にでも再現できる成功例」とは捉えていない。研究開発型スタートアップとして自ら技術を生み出しながら事業を続けてきたことについても、「結果論です」と答えた。
「もう一度、同じことをやれと言われても、できないかもしれません。人に簡単に勧められるような道でもない。ただ、研究者として新しい発見をしたいという気持ちは、ずっと自分の中に残っていたんでしょうね。だから、経営者として新しいものやサービスを社会実装したいという想いが強いです」(久保さん)
久保さんは、その感覚を「研究者として一度消したはずの火が、ずっとくすぶっていた」と表現した。
研究職を離れ、経営者になっても、新しい研究や技術に出会えば、その可能性を考えずにはいられない。その感覚は、現在のTL Genomicsの研究開発にもつながっている。創業以来、TL Genomicsが掲げているミッションは「技術をつくり、社会をつくる」。久保さんによれば、社内で何度考え直しても、この言葉に戻ってくるという。
「まず新しい技術をつくり、それを社会に実装する。この順番が自分たちらしさなんです。ここがなくなってしまったら、TL Genomicsという会社の存在意義そのものがなくなると思っています」(久保さん)
そんな久保さんが、社内でもよく話している考え方がある。「犬の散歩理論」だ。
犬の散歩に「行かない理由」はいくらでも思いつく一方、「行く理由」を同じ数だけ挙げようとすると、意外に難しい。だからこそ久保さんは、意識的に「やる理由」を考えるという。
「散歩に行けば気持ちがいいかもしれない。誰かと出会うかもしれない。犬が穴を掘ったら、小判が出てくるかもしれない。もちろん小判は極端な話ですが、やらない理由を一つ考えたら、それより多く、やる理由を考えるようにしています。社内でも同じように問いかけています」(久保さん)
久保さんが問題視しているのはリスクを考えることではなく、「やらない理由」を積み上げるだけで終わってしまうことだ。若い世代や、これから世界へ挑戦しようとする人への言葉を尋ねると、久保さんはコロンビア大学時代に得た実感を語った。
「日本人の発想や論理的に考える力は、世界でも十分に通用します。独創性という点でも、日本人はかなりユニークだと思っています。人と違うところ、自分にしかできないところがあるなら、それを大切にしてほしいですね」(久保さん)
「やらない理由」を考えたら、それより一つ多く「やる理由」を考える。博士課程での研究、海外留学、企業への転身、起業、そして事業転換と選択を重ねてきた久保さんにとって、それは単なる持論ではなく、これまでの意思決定を支えてきた考え方の一つなのだろう。
久保さんとは、今回の取材に先立つ打ち合わせも含め、オンラインで2度お話ししました。最初にお会いした時から印象に残ったのが、研究や事業について語る時の熱量です。「新しい技術を生み出し、それを社会へ届けたい」と語る久保さんの熱量と、「挑戦する人を一人でも増やしたい」という思いでJMPを続けている私自身には、立場こそ違っても通じるものがある。最初にお話しした時から、勝手ながら強いシンパシーを感じていました。
研究開発に長い時間と多額の資金を要するバイオスタートアップの世界で、自ら研究開発を重ね、独自技術を生み出し、それを事業として世界へ届けようとする。その道の難しさは、今回の取材を通じても十分に伝わってきました。それでも研究開発を続け、必要であれば事業そのものを見直しながら、前へ進んできた。「技術をつくり、社会をつくる」というミッションが、会社紹介のためにつくられた言葉ではなく、久保さん自身の歩みから生まれたものなのだと感じました。
そして、幼少期から現在までのお話を時系列で伺うほど、人生の点と点は、後になって線になるのだと感じました。科学者への憧れ、京都大学での基礎研究、コロンビア大学で見た世界、企業で学んだ事業開発。研究者として培った問いの立て方は技術開発に、企業で学んだ事業の視点は経営に生きている。久保さんのお話を聞いていると、それぞれの経験が今の仕事の中でつながっていることがよく分かりました。
妊娠や出産をめぐる選択は、とても個人的なものであり、そこに一つの正解があるわけではありません。だからこそ、自分の身体について知るための情報が増え、必要に応じて医師と相談しながら、自分自身でこれからを考えられることには意味があると思います。LOX検査が、そうした選択を支える一つの材料としてどこまで役割を果たしていくのか、私自身も注目しています。
日本で生まれた研究や技術が社会に新しい選択肢を生み出し、やがて世界へ広がっていく。JMPが応援し、伝えていきたいのは、まさにそうした挑戦です。研究者としての探究心を持ちながら、経営者として技術を社会へ届けようとする久保さんが、静岡を拠点にどのように世界へ踏み出していくのか。結果だけではなく、その過程にある試行錯誤や選択も含めて、これからも追い続けたいと思います。(JMP総合プロデューサー 長谷川浩和)
▼「挑戦」を生むトレンドニュースを毎日掲載!
挑戦者のためのビジネスメディア『JapanStep』