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2026.05.07

ギャルから編集長、そしてシブジョの校長へ 【連載】華麗なる転身

人は、いつからでも、どんな形でも自らの道を切り拓くことができる。その事実を、型破りな経歴と圧倒的な行動力で示しているのが、渋谷女子インターナショナルスクール 校長の赤荻瞳さんだ。高校2年生で高校を中退し、渋谷でギャルサークル(ギャルサー)を立ち上げた。その後、編集未経験ながら休刊していたギャル雑誌『egg』のWeb版復活に携わり、21歳で編集長に就任。そして2023年、教育業界へ異例の転身を遂げ、実社会で生き抜く力を育む全日制の通信制サポート校を立ち上げた。「別に完璧を目指さなくてもいい。やってみて、いけそうだったら進めばいい」。彼女の挑戦を支えるのは、ポジティブな「ギャルマインド」だ。赤荻さんのこれまでの歩みから、転身を支えてきた原動力を探る。(文=JMPプロデューサー 長谷川浩和)

お話を聞いたのは…

渋谷女子インターナショナルスクール 校長
赤荻 瞳さん

1996年、埼玉県生まれ。高校中退後に広告業界へ入り、ギャル雑誌『egg』のWeb版復活と雑誌復刊を牽引。21歳で編集長に就任し、若年層マーケティングや発信の現場で実績を重ねた。2023年には渋谷女子インターナショナルスクールの立ち上げに参画し、校長として教育分野へと転身。英会話やSNS、動画制作など実践的な学びを通じて、自分らしく生きる力を育む教育を推進している。

型破りな幼少期と「ギャルマインド」の原点

1996年、埼玉県に生まれた赤荻さんは、両親と2歳年下の妹との4人家族で育った。赤荻さんの価値観に大きな影響を与えたのは、おしゃれが好きだった母親の存在だった。
「自分の着たい格好をするのが当たり前。派手とか地味とか関係なく、自分の好きなアイテムを身につけることが当たり前の環境で育ちました。周りと同じ格好なのが嫌で、常に目立ちたいタイプだったんですよ。実際、幼稚園の写真を見ると、一人だけミニスカートで、着崩して、髪にリボンをつけていたり(笑)」(赤荻さん)

安室奈美恵やモーニング娘。に憧れを抱きながら、自らも個性を表現することにためらいはなかった。一方で、家庭は決して放任主義だったわけではない。携帯電話は高校生になるまで持たせてもらえず、門限を破れば家から閉め出されるほどの厳格さもあった。
「習い事についても『1回体験し、やるかどうかを自分で決め、やると決めたら2年は続ける』というルールのもと、スイミング、ダンス、サッカー、バスケと、スポーツを中心にさまざまなことに挑戦させてもらいましたね」(赤荻さん)

小学校高学年になる頃、赤荻さんの興味は「ギャル文化」へと大きく傾いていった。小学5、6年生の頃には、おしゃれ好きな友人たちと、毎朝小学校に登校しては、校門でファッションチェックをし合うのが日課だったという。
「小学生当時、すでに周りから『ギャル軍団』と呼ばれていました(笑)。朝起きてから服を決め、髪をセットするまでに、1時間は平気でかかっていましたね。誤解されがちなのですが、私がギャルに憧れたのは、単なる表面的なファッションだけではないんです。ギャルの生き方に惹かれました。ギャルは、周りに流されず自分の好きなことを貫いていますし、細かいことを気にせずチャレンジしているんです。私はルールに縛られるのがあまり好きではなかったので、渋谷で自由に、ポジティブにチャレンジしているギャルの姿が本当にまぶしく、憧れでしたね」(赤荻さん)

中学時代からギャルサークル(ギャルサー)への憧れを抱いていた赤荻さんだったが、進学した高校での学校生活が楽しく、一時期は渋谷からは足が遠のいていた。しかし、高校1年の終わりに渋谷を訪れた際、先輩からスカウトを受けたことが転機となる。
「もともとは既存のギャルサーへのスカウトでしたが、『誰かの下につくのが好きではない』という私の性格を見抜いてくれた先輩が、『自分でやってみなよ』と背中を押してくれたんです」(赤荻さん)

こうした出会いをきっかけに、赤荻さんはギャルサーを立ち上げる。高校2年生になると、通っていた高校を中退することも決めた。
「当初、親は通信制高校への転入を勧めてくれていましたが、最後は私の決断を尊重し、応援してくれました。『私なら何かしら渋谷でチャンスをつかんでくるんじゃないか』と(笑)」(赤荻さん)

ギャルサーでの活動は、赤荻さんにとって多忙で充実した時間となった。夏と冬の大規模イベントの企画、数百人規模のメンバーのマネジメント、協賛ステージの構成から集客まで、すべてを自分たちの手で回した。
「どれだけお金を使わずに楽しむか、自分たちで工夫して行動することが当たり前の世界だったので、『えー、それは無理じゃない?』みたいな考えは全くなくて。自分でいろいろやってみるのが当たり前の環境。振り返ってみると、その経験は社会人になってからも生きていますね」(赤荻さん)

ギャルサーでの活動は、高校3年生の代で引退となる。引退後、「SHIBUYA109(マルキュー)」でのアルバイトを経て、渋谷以外の場所にあるスパに就職した赤荻さん。しかし、すぐに違和感を覚えたという。
「やっぱり、渋谷がいい! 渋谷で働きたい、という思いがわいてきたんです。そんなタイミングで偶然にもギャルサー時代の先輩とばったり再会しました。その方からの誘いもあって、ティーン向けマーケティングを行う広告会社に入社しました」(赤荻さん)

入社後は、美容整形外科とコラボしたオーディション企画や、ギャル雑誌『Ranzuki(ランズキ)』のイベント運営・制作などに携わる。そして、メディア編集長という新たな世界へ足を踏み入れることになる。

『egg』復活、そして「スクール立ち上げ」への挑戦

広告業界で経験を積み始めて2年ほどが経った頃、赤荻さんのもとにチャンスが舞い込む。かつて自身も愛読し、一時代を築きながらも休刊となっていたギャル雑誌『egg』のWeb版復活プロジェクトである。当時の赤荻さんはまだ21歳。編集業務の経験もほとんどなかった。だが、赤荻さんは自ら編集長に立候補し、未知の領域へと飛び込んだ。
「もう私しかいないでしょ、って思って手を挙げました。もちろん、雑誌編集のイロハも分からない中でしたが、ギャルサーのイベントでパンフレットを作った経験はあったんですよ。『単にチラシのページ数が多いバージョンだからいけるっしょ』くらいの気持ちでやっていました(笑)」(赤荻さん)

赤荻さんの挑戦はWeb版にとどまらなかった。紙の雑誌を復活させることを「使命」と捉え、モデルたちの「雑誌に載りたい」という強い思いに応えるため、わずか1年で紙媒体の復刊を実現させる。


2019年5月に発売された『egg』復刊号の表紙

「もちろんすべてがうまくいったわけではないですよ。周りの仲間の力を借り、試行錯誤しながら、トライ&エラーを繰り返しました。YouTube企画ではテレビ番組のパロディで『全力下り坂』をやったり、『ガリガリ君早食い』企画などをやってみたり(笑)いろいろチャレンジするなかで、何か跳ねたらいいな、くらいの感覚でやっていました」(赤荻さん)

編集長時代、赤荻さんは自らが輝くこと以上に、モデルたちを輝かせることに心血を注いだという。
「『egg』は関わってくれるモデルたちと一緒に成長する媒体だと思っていました。現在タレントとして活躍しているゆうちゃみさんとの出会いも、『egg』を通じてでした。初めて面談をした頃はもちろん知名度はありませんでしたが、彼女は当時から『将来、毎日テレビに出るギャルタレントになりたい』と熱い夢を語っていました。『じゃあ一緒に叶えよう』と、夢をサポートすることを決め、伴走しました。だからこそ今の活躍は本当に嬉しいですね」(赤荻さん)

日本のギャル文化の可能性を感じ、世界への発信にも挑んだ。
「ギャルのヒップホップユニット「半熟卵っち」をプロデュースしました。『ギャルイズマインド』という楽曲をYouTubeやTikTokなどで配信したところ、海外でも大きな反響を呼び、何千万回も再生されました。『ギャル文化は海外でウケる』という確信を得ましたね。世界への挑戦は、『egg』編集長という立場では道半ばだったかなと思っていますが、世界に向け、日本のギャル文化を発信するきっかけをつくることができたのではないかと思います」(赤荻さん)

半熟卵っち / GALisMIND【Official Music Video】/ softboiledegg

編集長として充実した4年間を過ごした後、赤荻さんは25歳で編集長の立場を退くことを決意する。
「迷いはなかったですね。どんどん若い世代にバトンタッチしていかないとと思いましたし、先輩が威張っているような場所にしてはいけないと思いました」(赤荻さん)

引退後、専業主婦になることも考えたというが、やはり渋谷という街から離れることはできなかった。
「自分がギャルサーをつくってチャンス掴ませてもらったり、『egg』でやりたいことをやらせてもらえたりしたのは、渋谷でのサポートがあったからです。だから恩返しをしたいなと。実は今の若い子たちって、昔ほど居場所がないんです。私の時代は、特に連絡しなくてもセンター街に行けば誰かしら仲間に会えましたが、SNSが発達し、便利になった分、センター街に集まらなくても、オンラインで完結してしまうんです。だからそんな若い子たちに、リアルなコミュニケーションを通じて切磋琢磨できる場を提供したいと思いました」(赤荻さん)

そんな赤荻さんの強い思いが、第2の転身である「スクール立ち上げ」へと突き動かした。
「自分の人生を振り返ったとき、10代の頃に英会話やSNS、動画、ビジネスをもっと勉強しておけばよかったと少しだけ後悔がありました。であれば、それらを実践的に学びながら高校卒業資格の取得を目指せる通信制サポート校     が良いのではないかと考え、『渋谷女子インターナショナルスクール(通称:シブジョ)』を構想したんです」(赤荻さん)

当然ながら、通信制サポート校の立ち上げも初めての経験。だが、赤荻さんはこのプロジェクトを、渋谷で培った仲間のネットワークを駆使して形にしていく。
「スクールの立ち上げや制服づくりなど、渋谷で出会った仲間に力を借りて、一つ一つ形にしていきました。思いがあれば、渋谷のツテでスクールだって立ち上げられちゃうんです」(赤荻さん)

渋谷女子インターナショナルスクールは、「渋谷から世界へ。私の人生は私が決める」を掲げる全日制の通信制高校サポート校で、英語力、インフルエンス力、ビジネス企画力などを学びながら高校卒業資格の取得を目指す女子向けスクールだ。2023年4月にスタートし、2026年3月には、第1期生となる卒業生を送り出した。 

「シブジョは、決して『ギャルのための学校』ではないんです。SNSで活躍したい子もいれば、裏方として活躍するスキルを磨きたい子もいる。やりたいことを見つけに来ている子もいます。本当に個性的な生徒が集まっていますよ。シブジョでは、『何を学ぶか』以上に『誰から学ぶか』が大切だと考えています。講師陣には、実際にビジネスの世界で活躍している方々も講師に迎え、実体験に基づいた教育の場を提供しています」(赤荻さん)

WEGOとコラボし、スクールバッグを共同開発。実践的な学びの場を提供していることも、シブジョの特徴だ

「ギャルマインド」で壁を突破しよう

これほどまでにダイナミックなキャリアをたどる中で、赤荻さんはどれほどの壁にぶつかり、どのように乗り越えてきたのだろうか。その問いに対し、赤荻さんは、拍子抜けするほど軽やかに答える。

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