変化の時代において、企業はいかにして新たなブランド価値を創造し、生活者との関係性の中で育てていくべきなのか。本連載では、ブランディングを経営思想や社会との関係性を映し出す営みとして捉え直し、第一線の実務家たちの挑戦に迫る。今回はミツカングループが2019年に立ち上げた新ブランド「ZENB」を取材した。「味ぽん」などで知られるミツカンが、あえて既存のブランド資産と距離を置き、これからの食のあり方を見据えて生まれたZENB。事業とブランドをいかに接続し、新しい食の選択肢を社会に広げてきたのか。株式会社Mizkan Holdingsの佐藤武さんの言葉から、ブランドを事業として育てることの難しさと可能性を考える。(文=JapanStep編集部)
お話を伺ったのは …

株式会社Mizkan Holdings 執行役員
株式会社Mizkan 代表取締役専務 兼 日本+アジア事業COO
佐藤 武さん
1999年、株式会社ミツカン(現Mizkan)入社。営業を経て、ブランドマネージャーとして商品開発やマーケティングに携わった後、ホールディングスの役員室長、日本事業の営業・マーケティング・調達部門の責任者を歴任。2022年よりグループ内新規事業「ZENB」に参画し、DTCを軸にマーケティングおよびダイレクトセールスを統括。生活者の食と社会課題を結び、ブランド価値の創出を推進している。
ミツカングループといえば、「味ぽん」や食酢などで長年にわたり日本の食卓を支え、広く親しまれてきた老舗企業である。しかし、同社が2019年に立ち上げた新ブランド「ZENB」は、長年培ってきた「ミツカン」というブランド資産を、あえて前面に出さずにスタートした。ZENBは、これまで十分に活用されてこなかった植物性原料の皮や芯、さやなどを丸ごと使うというコンセプトから生まれた、新しい食のブランドである。

この新ブランド誕生の背景には、2018年に策定された中期5カ年計画があった。この計画では、ミツカンが50年後、100年後も社会に必要とされる企業であり続けるために、未来から逆算するバックキャスト思考が初めて導入された。当時、地球環境問題や、将来的なタンパク質不足への危機感が世界的に高まる中、同社内でも、環境や社会課題への対応を企業活動の前提として捉えなければ、これからの時代に選ばれ続けることは難しいという危機感が広がっていた。この危機感を起点として、ミツカンは「人と社会と地球の健康に貢献する」という未来ビジョン宣言を掲げた。

さらに、そのビジョンを「おいしさと健康の一致」という形で具現化するためには、単なる企業の社会的責任や姿勢として終わらせるのではなく、一つの事業として成立させる必要があった。ここで直面したのが、既存事業との関わり方である。
「ミツカンの商品ポートフォリオの一つとして出すだけでは、我々の熱量や思いが十分に伝わらないのではないかと考えました。既存の『ミツカン』のイメージが先に立つと、新しい挑戦のメッセージが届きにくくなる可能性がある。だからこそ、ミツカンの中の一つのカテゴリーではなく、独立した事業としてスタートさせるべきだと判断しました」(佐藤さん)

老舗企業が新規事業を立ち上げる際、既存の知名度や信頼を活用するのが定石とされることが多い。しかしZENBの場合は、むしろ「長年培ってきた既存ブランドがあるからこそ、新しい価値を正確に伝えるために距離を置く」という戦略的判断が下されたのである。独立した事業体としてビジネスモデルもD2C(Direct to Consumer)を採用し、ZENBという一つのブランドを確立した後に、実はミツカンが運営していると知ってもらうアプローチを取った。この選択が、結果として、新しい価値観を生活者に届けるための重要な土台になっていった。
独立したブランドとしてスタートしたZENBだが、事業として成長させていくためには、明確なブランディングの指針が欠かせない。佐藤さんは、ブランドを事業と切り離さずに捉えている。
「ブランドというのは、生活者の頭の中にあるイメージだというのが大前提です。パーパスやストーリーといった定義はありますが、それを作るうえで事業成長につなげていくためには、『これはやってはいけない』ということを定義するのが一番シンプルだと考えています」(佐藤さん)

企業がどれほど立派なロゴやパーパスを掲げたとしても、それだけでブランドが形づくられるわけではない。ブランドの本質は、生活者の頭の中に形成されるイメージにあるからだ。この考え方に立つと、企業が届けたい理想と、生活者が抱く実感との間には、少なからずギャップが生じる。そのギャップを少しずつ埋めていくうえで、佐藤さんが重視するのが「やってはいけないこと」、つまりブランドとして越えてはならない一線を明確にすることだ。
「戦略と同じで、『これをやろう』ではなく、『これだけはやってはいけない』という一線を引くことです。我々のパーパスを深く知っていただくプロセスにおいて、それに反する振る舞いをしてしまえば、信頼を損ね、興味関心を持っていただくことも難しくなります。まさに人付き合いと同じなのです」(佐藤さん)
ブランドにも人間関係と同様に、信頼を損ねる振る舞いが存在する。企業が届けたい便益や世界観があっても、生活者の価値観とずれた振る舞いをしてしまえば、関心や共感は少しずつ離れていく。だからこそ、日々のコミュニケーションや事業活動において「振る舞いの制約」を持つことが重要なのだ。
この「やってはいけないこと」を基準とし、自らの行動を律することで、生活者のイメージとのずれを少しずつ埋めながらブランドが目指す方向へ近づいていくことができる。これは決して抽象的なブランド論ではなく、地球環境への貢献や、食生活の習慣化といった事業の目的に近づくための、実践的なブランド戦略なのである。
ブランドの土台を築くうえで、社員一人ひとりの意識を高めるインナーブランディングは欠かせない。一方で、ブランドをより広く届けていくフェーズでは、その熱量を生活者視点へと開いていく必要もあった。佐藤さんが事業に参画する前、外部から見たZENBは、まだ情報発信が限られており、その全体像が十分に伝わりきっていない面もあったという。その一方で、内部には、驚くほど高い熱量があった。
「参画してまず感じたのは、一人ひとりの熱量が非常に高いということでした。『ZENBはこうあるべきだ』という思いが強く共有されていて、それは出島的な組織だからこそ生まれた、大きな原動力だったと思います」(佐藤さん)

この強い信念と熱量は、立ち上げ期の困難を乗り越えるうえで欠かせないものだった。しかし、ブランドをより多くの生活者に届けていくフェーズに入ると、その熱量が、生活者の多様な受け止め方との間にギャップを生むこともある。「私たちがこうあるべきだと思っているものが、ユーザーにも同じように届いているはずだ」という前提に立ってしまうからだ。
「ブランドとは、生活者一人ひとりの中で微妙に違うはずで、多様性や多面性があってしかるべきです。そこで、『ZENBはこうあるべきだ』という内部の認識と、外から見たイメージとのギャップを埋めていく作業を進めました」(佐藤さん)
内部の思いが強いほど、時に「意識高い系」といった受け止められ方だけが先行してしまうこともある。健康や環境に関心があっても、「自分は意識高い系ではないから」と敬遠されてしまえば、本来新しい食の選択肢を届けたい人々を遠ざけてしまう。佐藤さんはこの点を課題として捉え、「ユーザーにどう見えているか」へと視点を転換させていった。

「社内に向けた会議やイベントでは、『僕らは新しい食の選択肢を作るんだ』ということを繰り返し伝えていました。ブランドを通じて何を実現したいのか。その目的に立ち返ることが大事だと考えていたからです」(佐藤さん)
その視点の転換が大きな論点となったのが、リアルリテール(実店舗)へのチャネル拡大のタイミングだった。それまでD2Cを中心に展開してきたZENBがスーパーやコンビニに並ぶことに対し、社内では「安売りされるのではないか」「ブランド価値が損なわれるのではないか」「既存ユーザーががっかりするのではないか」といった慎重な声もあった。
しかし、事業の本質を理解するメンバーとともに展開を進めると、結果として新しいユーザーとの接点が広がっていった。サステナビリティだけでなく、グルテンフリーや糖質オフといった、日々の食生活に直結する価値を求める新しい生活者の声が届くようになったのだ。この多様な声を受け入れたことで、社内のブランド理解も「こうあるべき」からより柔軟なものへと深まっていったのである。
多様な生活者の声に耳を傾けるZENBだが、その関係構築のアプローチには特徴がある。
ZENBでは、生活者との対話の場を重視している。年に2回、100人規模の「感謝の集い」を開催し、さらに3〜20人規模の小規模な「ミートアップ」も継続的に行ってきた。これらの場には、経営層だけでなく、普段は表に出ない開発や技術、マーケティングの担当者も参加し、ユーザーとの交流や直接の対話を重ねている。これだけを聞くと、顧客の声を丁寧に商品開発へ反映していく、いわゆる「共創型」のブランドのようにも見える。しかし、佐藤さんの考え方は、一般的な共創のイメージとは少し異なる。
「ヒントは徹底的に得ますが、『声をそのまま鵜呑みにはしない』という一線は大切にしていました。生活者の声にそのまま応えるものづくりは、一見すると誠実に見えますが、それだけでは期待を超えられません。『ZENBはそんなことまでやってくれるのか』と感じていただける体験をつくることが、ブランドの輪郭を強くしていくのです」(佐藤さん)

「お客様の声を聞いて作りました」という要望対応だけでは、ブランドとしての主体性は弱くなってしまう。生活者の声に寄り添いすぎれば、ブランドは要望対応に終始してしまう。一方で、ブランド側がやりたいことだけを押し出し、世の中の価値観やライフスタイルから大きく外れたことをしてしまえば、生活者との乖離が生まれ、ブランドの輪郭は曖昧になっていく。
だからこそ、ZENBの強さは「顧客と近い」ことそのものではない。生活者との密接な対話を通じて、その価値観や期待の幅を丁寧に捉え、まだ言葉になっていない期待を先回りして形にすることにあるのだ。生活者の想像の半歩先を行き、期待を超える驚きと感動を提供する。その絶妙な距離感と主体性こそが、ZENBへの信頼や愛着を深めている。
こうした地道なブランド構築は、理念先行の活動にとどまらず、経営成果としても少しずつ可視化されている。ZENBでは、成果を測るための先行指標として「ブランド認知率」、その中でも特に「積極認知率」を重視している。また、興味深いのは、ミツカン本体がNPI(Next Purchase Intention:次回購入意向)を指標としているのに対し、ZENBではNPS(Net Promoter Score:顧客推奨度)を採用している点だ。
「NPSを重視しているのは、『共に創る』という考え方を、事業ビジョンとして大切にしているからです。『人に伝えたい』と思ってくれる仲間がどれだけ生まれているかが、先行指標として大切だと考えています」(佐藤さん)

「人に伝えたい」という仲間を増やすためには、認知拡大に向けた地道な投資も欠かせなかった。獲得広告やアフィリエイトといった手法に加え、事業立ち上げ前から理念に共感するシェフや有識者と協働し、質の高い認知のきっかけを作ってきた。
さらに、2023年秋には、ZENBとして初となるテレビCMも実施した。この際、出演者には代理店の提案ではなく、ZENBのユーザーでもあったモデルの冨永愛さんに直接依頼し、起用につながったという。印象的なのは、CMの放映に先立ち、ファンミーティングの場で、テレビCMを通じてより多くの人にZENBを知ってもらうことについて、既存のファンの受け止め具合を直接確かめた点だ。認知拡大を進めながらも、初期からのファンの愛着を大切にする、ZENBらしい丁寧な関係づくりの表れと言える。
こうした活動が経営への貢献として明確に可視化されたのが、「ZENBブレッド」のリアルリテール展開だ。セブン-イレブンをはじめとする小売店で扱われるようになり、事業成果としても手応えが見え始めた。安売りに依存せず、ZENBの価値に共感する生活者に選ばれている状況は、ZENBの明確なブランドエクイティが、事業成果を支える力になり得ることを示す出来事となった。

「ZENBブレッドがリテールに並び、成果が見え始めたことで、ブランドエクイティがビジネスの基盤を支えるという話が、社内でも通じるようになってきたと感じています」(佐藤さん)
現在、D2C事業で培われたLTV(Life Time Value:顧客生涯価値)の考え方が、ミツカン本体の議論にも持ち込まれ始めている。ZENBは単体の新規事業としての成功にとどまらず、ミツカングループ全体のブランドマネジメントにも、新たな視点をもたらし始めている。
ZENBの挑戦は、食の領域だけにとどまらない。今後の戦略について、佐藤さんは単なる売上拡大ではなく、生活者との接点を広げる構想を描いている。
「今後の戦略として、カテゴリーエントリーポイントを広げていきたいと考えています。スーパー、コンビニ、ECだけでなく、美容室やスポーツシーン、オフィス、あるいは自販機など、最適な接点はどこかという発想でポートフォリオを広げていきたいのです」(佐藤さん)
これは「食のブランドをどの棚に置くか」という従来の発想ではない。「新しい食の選択肢が必要とされる生活のシーンはどこか」から逆算し、ニーズに応じた接点を広げていくという考え方である。
こうした手探りの挑戦を続けてきたZENBにとって、「Japan Branding Awards 2025(JBA2025)」で「SILVER」を受賞したことは、一つの大きな節目となった。
引用:ZENB ホームページより
Japan Branding Awardsは、ブランディングの取り組みを共通の視点で評価し、企業同士が学び合う機会にもなっている。ZENBにとっても今回の受賞は、手探りで重ねてきた取り組みを外部の視点から見つめ直す契機となった。
「ブランドという無形のものは、評価される機会が多くありません。インターブランドのような第三者に、プロセスを含めて評価していただき、可視化されたことが一番ありがたかったです。手探りだったものが確信に変わり、関わってきた300人を超えるメンバーのモチベーションにもつながりました」(佐藤さん)

最後に、ZENBがこれから目指す姿について、佐藤さんはこう語った。
「より多くの方の笑顔を増やすこと、そして美味しさと健康を通じて、日々の暮らしが豊かになることに貢献したい。そこにZENBという選択肢があることで、より手軽に実現できればいいと思っています。食に限らず、ライフスタイルに合わせて柔軟に具現化していければと思っています」(佐藤さん)
「新しい食の選択肢」を作ることから始まったZENBは、いま、生活者の価値観やライフスタイルに寄り添いながら、その接点を食の外側へも広げようとしている。企業がどれだけ言葉を尽くしても、ブランドは生活者の体験の中でしか育たない。ZENBの歩みは、何を守り、何を広げていくのかを問い続けるブランド経営の実践そのものだ。