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2026.11.04

12回の挑戦を経て、宇宙から不動産を変える。WHERE阿久津岳生の原点【連載】社長の原点

人工衛星の画像から、空き地や駐車場を見つけ出す。株式会社WHEREは、衛星データとAIを活用し、不動産会社による土地の探索・仕入れを支援する企業だ。同社を率いる代表取締役CEOの阿久津岳生さんは、不動産・建築分野で数々の事業を立ち上げ、売上高10億円規模の企業グループを築いた後、宇宙科学の研究へと身を投じた。本人によれば、WHEREは13回目の新規事業への挑戦にあたる。それまでにも数々の事業に取り組み、失敗を経験してきたという。幾度もの失敗を経てもなお挑み続ける、その原動力と経営哲学に迫った。(聞き手・文=JMP総合プロデューサー 長谷川浩和)

【連載一覧】社長の原点

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お話を伺ったのは

 

株式会社WHERE 代表取締役CEO
阿久津 岳生さん

神奈川県小田原市出身。不動産ベンチャー企業で営業経験を積み、独立後は不動産・建築分野を中心に複数の企業を設立・経営。事業経営の傍ら学びを重ね、2020年から総合研究大学院大学にて、JAXA宇宙科学研究所を拠点に宇宙探査技術を研究。2022年、株式会社Penetrator(現・株式会社WHERE)を設立。衛星データとAIを活用した不動産探索サービス「WHERE」を開発・提供する。JAXAスタートアップの認定を受け、宇宙技術の民間利用に取り組んでいる。

通知表の「1」を褒めた母

「僕は『おっ!』をつくるために生きているんです」

自身の原点について尋ねると、阿久津さんはそう答えた。「おっ!をつくる」とは、相手の期待を超えるものを生み出すこと。33歳の頃に言葉にしたこの考えは、現在、WHEREのスピリットにもなっている。その言葉の背景を尋ねると、阿久津さんは少年時代を振り返った。

阿久津さんは神奈川県小田原市で生まれ育った。父も母も、そして兄も公務員という家庭だった。

「生活に不自由はありませんでした。ただ、特別に贅沢なわけでもない。本当に普通の家庭だったんです。でも、僕は子どもの頃から、その『普通』が嫌だった。人と違うことをしたいという気持ちが、ずっとありました」(阿久津さん)

そんな阿久津さんを、家族は温かく見守っていたという。小学生の頃、音楽の成績で「1」を取ってしまったことがあった。親戚の間には、通知表をもらうと祖母の家へ見せに行き、お小遣いをもらう習慣があった。しかし、そのときばかりは恥ずかしくて行けなかった。

様子を察した母親に促され、叱られることを覚悟して通知表を差し出した。すると、母親は思いがけない言葉を口にした。

「母が『たけちゃん、すごいね』と言うんですよ。何がすごいのかと思ったら、『1から5まで全部の数字がある。あなたはバラエティに富んでいるのね』と。怒られると思っていたのに、褒められたんです」(阿久津さん)

母親の言葉にすっかり気を良くした阿久津さんは、意気揚々と祖母の家へ向かったという。

中学1年生のときには、生徒会長選挙で思い切った行動に出た。教師に勧められて立候補した阿久津さんは、約1,000人の全校生徒を前に、逆立ちをして演説したのだ。

「学校を180度変えます、と言ったんです。そのためには物事を見る視点も180度変えなければいけない。だから逆立ちをしました。友人に足を支えてもらいながら、学校を変えるためには皆さんにも支えてほしいと訴えたんです」(阿久津さん)

演説は大きな反響を呼び、中学1年生にして生徒会長に当選した。

「振り返ると、子どもの頃からずっと『おっ!』をつくろうとしていたんだと思います。相手の期待を超えたところで驚きが生まれる。それが僕にとっての喜びだったんです」(阿久津さん)

公務員志望を変えた、45分の面接

人と違うことを好んでいた阿久津さんだが、当初は家族と同じく公務員になることを考えていた。大学院進学後も、そのつもりだったという。

転機となったのは、新宿で偶然目にした不動産ベンチャーの求人だった。

「『ベンチャー社員募集』という言葉が気になり、応募してみたんです。ところが、面接では想像以上に厳しい質問が続きました」(阿久津さん)

社長から問われたのは「ベンチャーとは何か」「株式会社とは何か」といった、当時の阿久津さんには答えるのが難しい質問だった。十分に答えられなかった阿久津さんは、何とか自分を伝えようと粘り、15分程度の予定だった面接は45分ほどに及んだ。

「自分としては、十分にアピールできなかったと思っていました。悔しくて、西新宿の街を泣きながら帰ったことを覚えています」(阿久津さん)

ところが、後日届いたのは内定通知だった。思い描いていた公務員への道を捨て、阿久津さんは入社を決めた。

入社当初は営業に苦戦した。約50人いた同期の中でも、最初の契約を獲得するまでに時間がかかったという。

「社会人になる前は、自分なら売れると思っていました。でも、実際にはまったく売れない。世の中の厳しさを痛烈に感じました」(阿久津さん)

それでも、約4年半にわたって営業の現場で働き続けた。その頃には、いつか自分で会社をつくりたいという思いが芽生えていたからだ。

「起業するためには、早く成長しなければいけないと思っていました。だったら、人よりも大変な経験をした方がいい。短期間で力をつけるために必要なことだと考えていたんです」(阿久津さん)

約4年半にわたる営業経験は、その後の起業を支えるものとなった。

「営業力を身につけたことは、大きな財産です。仮に事業がうまくいかなくても、自分の力で仕事を生み出せる。その自信が、次の挑戦を支えてきたのだと思います」(阿久津さん)

失意の福岡赴任が、起業への道を開いた

不動産ベンチャー時代、仕事上の失敗をきっかけに福岡へ赴任した。この異動が、後の起業につながることになる。

「同期の中で最初に課長になったのですが、降格したのも最初でした。失意のまま福岡に行って、最初の1週間くらいは落ち込んでいましたね」(阿久津さん)

福岡での営業活動を通じて、阿久津さんは出会う人々の気っ風の良さに惹かれていった。特に忘れられないのが、飛び込み営業で出会った顧客とのやり取りだ。初対面の阿久津さんの話に耳を傾け、仕事を任せると決めたら、迷うことなく大きな案件を託してくれたという。相手を信じる潔さや懐の深さに感銘を受け、やがて福岡で起業したいと考えるようになった。

一度は退職を申し出たものの、会社から引き留められ、東京へ戻ることになった。その後、千葉での支店立ち上げを担当し、役割を果たしてから退職。再び福岡へ戻り、仲間とともに独立への準備を進めた。

阿久津さんは30歳までに起業すると決めていた。しかし29歳になっても、貯金は約400万円。目標の1,000万円には届いていなかった。経営について学ぶべきことも多い。準備が足りないと感じていた阿久津さんに、先輩経営者がある言葉をかけた。

「何の準備が足りないのかと聞かれたんです。決算書の読み方やマーケティングの勉強などを挙げたのですが、準備なんてどこまでやっても足りないものだと。だったら、自分で決めた30歳までという期限を守れと言われました」(阿久津さん)

先輩経営者の言葉に背中を押され、当初の予定どおり起業へ踏み切った。その後、営業先で知り合った経営者から200万円の出資を受けることになった。自己資金400万円と合わせた600万円で、初めての会社を立ち上げた。

最初に手がけたのは、大学生向けの中古マンション購入事業だった。当時の福岡では、都心部でも数百万円で購入できる中古ワンルームマンションがあった。大学生活の4年間で支払う家賃を考えれば、購入した方が合理的ではないか。そんな着想から始めた事業だった。

しかし、思うように顧客は集まらなかった。

「半年ほどで資金が尽きかけて、通帳には数百円しか残っていませんでした。このままでは会社が続かないと思い、一般的な不動産取引に切り替えたんです」(阿久津さん)

当初の構想を見直し、不動産仲介業へと転換した。営業で培った経験が生き、経営は持ち直した。最初に設立した会社は、阿久津さんが経営から退いた後も事業を続けているという。

12回の失敗。それでも、挑戦をやめられない

最初の起業後、阿久津さんは不動産・建築分野を中心に複数の企業を起業・経営してきた。新規事業への挑戦は、現在のWHEREで13回目になるという。

「それまでの12回は失敗の連続でした。以前、投入した資金を計算してみたら、約6,300万円になっていたんです」(阿久津さん)

その一つが、2017年に設立した株式会社ピースでの挑戦だった。目指したのは、世界の紛争をなくすこと。裁判記録などを機械学習に活用し、紛争解決に役立てる「AI裁判官」の開発に取り組んだ。当時は現在ほどAIが普及していなかった時代だ。国内外からメンバーを集め、会社も設立したが、事業化には至らなかった。

「そのときは、もう新しい事業に挑戦するのをやめようと思いました。不動産会社や福岡工務店など、すでに成長している事業があったので、そちらに専念すればいいと考えたんです。1カ月ほどすると、また新しいものをつくりたくなってくるんです。僕は、ゼロから一を生み出すことが好きなんですよね」(阿久津さん)

既存の事業を大きくすることよりも、まだ世の中にないものを生み出すことに関心が向く。その原動力は何かと尋ねると、阿久津さんは再び「おっ!」という言葉を口にした。

「僕は『おっ!』をつくりたいんです。一人よりも会社というチームの方が、大きな『おっ!』をつくれるし、たくさん生み出せる。だから、起業しているんです」(阿久津さん)

幾度もの失敗を経ても挑戦を続けられる理由を尋ねると、阿久津さんは、日本で事業に挑戦できること自体のありがたさについて語った。かつては失敗の責任を命で償う時代もあった。しかし、今の日本では、事業に失敗したからといって命を失うわけではない。何度でも立ち上がり、再び挑戦できる。その環境は、決して当たり前のものではないという。

阿久津さんは熊本地震の被災地で支援活動を行ったほか、ロシアによるウクライナ侵攻後にはポーランドのクラクフへ赴き、支援物資を届ける活動にも携わった。現地では、報道だけでは分からない支援の実情を目にしたという。

「ウクライナへの支援では、止血帯が不足していました。避難してきた女性や子どもが多いことで、生活用品も不足している。実際に現地へ行ってみないと、分からないことがあるんです」(阿久津さん)

そして阿久津さんは、失敗を恐れず、何度でも挑戦できる今の日本の環境は、先人たちが築いてきたものだと考えている。

売上10億円。その先に何があるのか

2018年から2019年頃、阿久津さんが経営する不動産・建築関連の企業グループは、売上高約10億円、従業員約100人の規模にまで成長していた。上場も視野に入り、経営者として事業を拡大していた時期である。

その一方で、次の成長目標を考える中で、新たな疑問が生まれた。

「売上が1億円になったら次は3億円、5億円、10億円。その次は30億円ですねと言われたときに、これをずっと繰り返していくのかと思ったんです。頑張れば100億円、あるいは1000億円の会社をつくれるかもしれない。でも、そういう会社は世の中にいくつもある。それでは、自分が求めている『おっ!』にはならないと思ったんです」(阿久津さん)

そもそも、何のために起業してきたのか。改めて考えたとき、浮かんできたのは「世界を変えたい」という思いだった。

当時、阿久津さんは社員に対して、一つ上の視座を持って仕事に取り組むよう説いていた。課長なら部長の視点で、部長なら役員の立場で考える。それを自分自身に当てはめたとき、ある疑問が生まれたという。

「社員には一つ上の視座を持てと言っているのに、自分はどうなんだと。僕自身も成長しなければいけない。世界を変えたいと考えている自分にとって、一つ上の視座は何だろうと思ったんです」(阿久津さん)

そして、行き着いたのが宇宙だった。

「世界の一つ上なら宇宙だろうと。それなら宇宙をやろうと思ったんです」(阿久津さん)

宇宙分野への挑戦は、関係者との交流から始まった。業界の会合などに足を運び、少しずつ接点を広げていった。

「不動産業界から来た人間が、突然宇宙の研究に関わろうとしているわけですから、最初は簡単に理解してもらえないこともありました。でも、そういう経験には慣れていたんです」(阿久津さん)

阿久津さんは、20歳頃にワーキングホリデーでカナダ・トロントに滞在し、働いた経験がある。福岡でも、県外出身者として周囲との距離を感じる場面があった。そうした経験を通じて身につけた、自分なりの方法があった。

「受け入れてもらえないときは、その世界のど真ん中に入っていくんです。外から見ているだけではなく、中に入り込む。それが僕のやり方です」(阿久津さん)

宇宙分野で、その中心にあると考えたのがJAXAだった。研究者との交流を重ねる中で、後に恩師となる田中智さんと出会う。そこで知ったのが、ペネトレーターと呼ばれる宇宙探査機の研究だった。

天体の表面に高速で衝突・貫入し、観測を行うことを目指す探査技術。その独創性に強くひかれた阿久津さんは、2020年4月からJAXA宇宙科学研究所で研究生活を始めた。経営者として実績を積んできた阿久津さんにとって、再び学ぶ側に立つという選択だった。

月のクレーターに、地球の不動産を見た

JAXA宇宙科学研究所での研究生活は、阿久津さんにとって新鮮な経験だった。

「不動産業界では何千万円、何億円という取引の話をしてきました。でも、研究所では皆さんがホワイトボードに物理の数式を書きながら、熱心に議論しているんです。最初は、その議論についていくのが大変でした」(阿久津さん)

それでも、ペネトレーターの研究には強く惹かれたという。

「非常に優秀な研究者の方々が、長い年月をかけて取り組んできた技術です。これからの惑星探査にとっても重要になると思いましたし、この技術を未来につなげていきたいと考えました」(阿久津さん)

研究を続ける中で、阿久津さんは自分が宇宙分野にどのような形で貢献できるのかを考えるようになった。そこで思い至ったのが、長年培ってきたビジネスの経験を生かすことだった。

「僕には長年ビジネスをやってきた経験があります。研究者の方々と同じことをするのではなく、自分の強みであるビジネスと宇宙技術を掛け合わせれば、何かできるのではないかと思ったんです」(阿久津さん)

当初は、宇宙探査に関する技術や知見を防災分野に生かす事業を模索したが、事業化には至らなかった。続いて、衛星データなどを活用して住みやすさを点数化するサービスを考案。ビジネスプランコンテストで受賞し、約1,200万円の資金を投じたものの、収益化には至らなかった。

「ビジネスプランコンテストでは評価をいただきました。ただ、事業として収益を上げるところまでは至らなかったんです。周囲から評価をいただいていたこともあり、方向転換の判断には時間がかかりました」(阿久津さん)

そんなとき、研究室で行われていた別の研究が目に留まった。月面のクレーターをAIで解析する研究だった。

「月のクレーターをAIで見つけられるなら、地球の空き地や駐車場も見つけられるんじゃないかと思ったんです。不動産の仕事を長くしてきたので、これは活かせると感じました」(阿久津さん)

不動産会社にとって、市場に出る前の土地情報を把握することは容易ではない。従来は営業担当者が現地を歩き、候補地を探すことも多かった。阿久津さんは研究に携わっていた後輩に相談し、プロトタイプの開発を依頼した。

約1週間後、試作品が完成した。

「相模原にいながら、北海道や沖縄だけでなく、ニューヨークやパリの空き地や駐車場まで見つけられたんです。画面を見て、これはいけると思いました。不動産業界で長く課題になっていたことと、宇宙技術がつながったんです」(阿久津さん)

それまでのサービス開発には多額の資金を投じており、手元に残る資金も限られていた。それでも阿久津さんは従来の構想から撤退し、新たな事業へ資金を投じることを決めた。

「一つひとつの挑戦をしているときは、必ずうまくいくと思って取り組んでいます。でも、失敗することもある。ただ、振り返ってみると、それまでの経験がつながっていくんですよね」(阿久津さん)

試作段階から始まった、顧客との事業づくり

試作品の完成後、阿久津さんは不動産会社7社に営業をかけた。すべての会社と商談の機会を得て、そのうち2社が契約を決めたという。

「お客様から『面白いね。いくらなの?』と聞かれて、価格を決めていなかったことに気づいたんです」(阿久津さん)

価格は、従来の土地探索にかかる人件費を参考に、その場で提示したという。もっとも、当初のプロトタイプには改善すべき点も多かった。現在では短時間で完了する検索に長い時間を要することもあった。

「実際に使っていただくと、さまざまな課題が見えてきます。お客様の声を聞きながら、一つひとつ改良していきました」(阿久津さん)

住みやすさを点数化するサービスでは、コンテストで評価されながらも収益化できなかった。一方、今回のサービスは試作段階で顧客を獲得し、対価を得ることができた。

阿久津さんがこの事業で重視するのは、不動産流通の最上流にあたる土地情報の取得だ。

「不動産業界では、上流を制する者が市場を制すると言われます。土地の情報を押さえられれば、その後の開発や建築、投資など、多くの事業につながっていくんです」(阿久津さん)

不動産の開発や取引では、候補となる土地や建物を見つけることが出発点となる。しかし、市場に出る前の不動産候補を把握するには、従来、多くの手間と時間を要していた。WHEREは、そこに衛星データとAIを活用する。

「不動産DXの会社だと言われることもあります。確かにそういう側面もありますが、僕たちは宇宙と不動産を掛け合わせた新しい市場をつくろうとしているんです」(阿久津さん)

不動産業界にとっては、宇宙技術を活用することで新しい可能性が生まれる。一方、宇宙業界にとっては、技術の民間利用を具体的な事業として示すことにもなる。阿久津さんは、新しい市場が形成される過程を三つの段階で捉えている。

まず、その市場に需要があることを実証する。次に、市場の存在を広く認知してもらう。そして、多様な企業が参入することで市場が発展していく。

「宇宙と不動産を掛け合わせた市場については、この2年である程度、事業として成立することを示せてきたと思っています。次に必要なのは認知を広げることです」(阿久津さん)

2040年の火星から、現在を考える

WHEREを今後どのような会社へ成長させたいのか。阿久津さんに尋ねると、2030年、2035年、2040年という具体的な年を挙げて説明してくれた。2040年の目標に掲げているのは、ペネトレーターを用いた民間主導の火星探査だ。

「2040年には火星の不動産をやりたいと思っています。ただ、火星で土地を売買するということではありません。自分が生きている間に、頑張れば実現できることは何かと考えたとき、ペネトレーターを使った民間初の火星探査が一つの目標になると思ったんです」(阿久津さん)

2035年に地球上の不動産市場を大きく動かす存在となるために、まず2030年にはWHEREをユニコーン企業の規模に成長させる。その目標も、2040年の火星探査を実現するための道筋として描いている。

「2040年に実現したいことがある。そのためには2035年にどうなっている必要があるのか。さらに、2030年には何を達成しなければならないのか。そう考えています」(阿久津さん)

宇宙分野に進んでいなければ、今頃何をしていたと思うか。そんな質問をすると、阿久津さんは笑いながら答えた。

「おそらく、不動産会社を経営しながら、何か文句を言っていたんじゃないでしょうか。宇宙へ進んだことは、本当に良かったと思っています」(阿久津さん)

最後に、挑戦したいと思いながらも一歩を踏み出せずにいる人へ、言葉を求めた。

「挑戦しないともったいないと思います。今の日本は、失敗してもやり直すことができる。これだけ恵まれた時代と場所にいるのですから、挑戦しない方がもったいないですよね」(阿久津さん)

取材を終えて

阿久津さんと初めてお会いしたのは、SpaceStepの連載でWHEREの取締役COO、西村仁さんを取材した際でした。短い会話でしたが、宇宙事業への強い思いが伝わってきて、改めてその歩みを伺いたいと考えていました。

今回の取材で特に印象に残ったのは、阿久津さんが幾度もの失敗を、必要以上に深刻な出来事として語らなかったことです。過去の経験を振り返りながらも、話は自然と次の事業へ向かっていく。失敗を恐れないというより、新しいものを生み出したいという思いの方が、はるかに強いのだと感じました。

私自身も経営者として、事業を続けることの難しさや、新たな挑戦に踏み出すことの重みを経験してきました。だからこそ、事業が成長した後に自らの目的を問い直し、宇宙という未知の分野へ進んだ阿久津さんの決断には、深く考えさせられました。

現在、WHEREにはJMPのパートナー企業としてご参画いただき、11月5日・6日に開催される「宇宙×不動産カンファレンス2026(SRC2026)」でも、SpaceStepがメディアパートナーを務めます。阿久津さんの挑戦は、異なる分野の知見が出会うことで、新たな事業が生まれる可能性を示しています。JMPとしても、そうした出会いを一つでも多く生み出し、具体的な共創につなげていきたいと思います。

▼information
SpaceStepが「宇宙×不動産カンファレンス2026(SRC2026)」のメディアパートナーに参画しました